ホタルのレンズ

Fluorite は屈折率の波長による変化が小さく(この特性を「低分散」という)、人工の単結晶 fluorite でレンズを作ると猛烈に性能の良い光学系が組み上がる。
波長によって焦点位置がずれる「色収差」を補正するには、もってこいの材料だ。
屈折率は小さいので口径比 F = 8-10 ぐらいが無理なく設計できる。
超望遠レンズや、屈折望遠鏡に向いた F 値だ。


Fluoriteのアッベ数 94 という値は、そう簡単には最近の ED (異常分散)ガラスでも真似できない。
そのため、こだわりの人は、好んで fluorite の色消しレンズを使う。かなり高価なものなのだが。
いまでも fluorite にこだわり続けている望遠鏡メーカーとして、タカハシがある。


http://www.takahashijapan.com/



Fluorite と、重クラウンガラスの単純な組み合わせで、信じられないぐらい性能の良い光学系ができる。
ちょっとでも光学設計をかじると fluorite のすごさがわかる。
部分分散比から、合わせるガラスがある程度決まってしまうのだが、ダブレット(2枚のレンズ)のみで、色収差、球面収差、コマ収差をかなり良好な程度で補正した光学系が設計できる*1トリプレットレンズ(三枚玉)にすると、収差状況はさらによくなる。


世界で最も有名な fluorite レンズはツァイスの APQ シリーズだと思う。
だいたいの構成は以下を参照。fluorite 両凸を二枚のクラウンで挟んでいる。
張り合わせはオイルだが、熱膨張率の差を考慮してのものだろう。
このシリーズ、性能もすばらしいが、値段がとんでもない。


http://www2.odn.ne.jp/~ccr61210/www2.odn.ne.jp/APQ.html


屈折率が低く、F が大きくなってしまうという制約はあるものの、Fluorite ほど素性のよい低分散光学材料は他に例を見ない。


アッベ数だけで言ったら、100 をオーバーする LiF など、fluorite を凌駕する数種の低分散結晶材料があるにはある。
しかし、ガラス屋のカタログに、これらとマッチする適当な部分分散比のガラスがなく、組み合わせが難しい。
ちょっと古い patent に、右水晶-LiF-左水晶の組み合わせのトリプレットがある。
水晶の c 軸を光学軸に持ってきて、比較的対称の設計にして、左右の水晶で楕円偏光と複屈折を打ち消す。そんなやり方しかない。これが相当無理をしている設計だってのが、すぐわかる*2


きわめて低分散で、透明の波長領域が広いという特性を持つ fluorite 光学材料も、単結晶材料で値段が高く、加工がかなり難しく、軟らかく傷がつきやすいなどの欠点から、扱いの容易な新開発の異常分散ガラスに押されてしまった。


しかし、こいつはやはり光学設計の最終兵器であり、ちょっと無理のあるスペックを出そうとすると、必ずお呼びがかかる大奥的存在なのである。

*1:球面収差については、低屈折率という特性から F を大きく取らねばならず、そのため球面収差補正が容易になる。

*2:しかし、この光学設計は、短波長側 200 nm-長波長側 1500 nm の範囲で三色色消しにできる恐ろしい性能を持つ