寺田寅彦とX線結晶学

ちょっと書き物で調べていたのだが、X線結晶学の初期に、寺田寅彦が多大な貢献をしていたようだ。
古典的な結晶形態学の創始者はもちろん R. J. Hauy で、有理指数の法則を見いだした意義は大きい。
1912年に、M. v. Laue が鉱物類の単結晶にX線を当てて、回折の現象を見いだしている*1
この現象を、結晶中の原子の規則正しい配列に基づくものだと予想し、独立に追試を行ったのが Bragg 親子と理研寺田寅彦で、両者は別々に論文を Nature に投稿している。


W. H. Bragg and W. L. Bragg, Nature, 91, 557 (1913).
T. Terada, Nature, 91, 135 (1913).


ほぼ同時だが、寺田のほうがわずかにページ数が若い。
寺田のほうが先だったのだろう。
寺田は、ややしぼったX線を岩塩単結晶に当てて出現する回折斑を見いだし、これが結晶中における原子配列の層状構造に帰するものととらえている。
あくまでも寺田らしく、文章で表現している。
Bragg 親子は、ダイアモンド単結晶について写真法で回折実験を行い、数学的解釈から結晶構造までこぎ着けた。
この差が、Bragg 親子がノーベル賞を受賞し、寺田がそうならなかった理由だろう。
この件に限らず、寺田の文人趣味はその後批判されることになるのだが、際立ってセンスの良い科学者だったということは疑いようも無い。
研究テーマのオリジナリティ、プライオリティの高さは、群を抜いている。


結局、寺田自身はX線結晶学はほんの2年ぐらいで足を洗い、門下の西川正治に様々なアドバイスを与える。
A. M. Schonflies らがまとめあげた230の空間群を、西川に結晶構造解析に使うようにすすめたのも寺田だ。
西川は、その後様々な鉱物や人工の化合物の結晶構造を調査し、結晶学に有益な多くの研究成果を報告していく。
magnetite, andradite などの結晶構造は、彼らの手による。
ただし、spinel group の構造解析は、Bragg とかぶったので、論文投稿を引っ込めたらしい。
西川が留学先で結晶構造解析の手ほどきをしたのが R. W. G. Wyckoff だ。


http://journals.iucr.org/iucr-top/people/wyckoff.htm


ディスオーダー(結晶内における原子サイトの不秩序性)、柔軟性結晶などの現象も、1920−1940年頃の理研グループによって見いだされたものである。
有機化合物中の炭素が正四面体構造だという古くからの仮説を、結晶構造解析によって初めて図示して見せたのは、西川の弟子の仁田だ (1928)。


その後、阪大、東大、東北大、京大などのグループに分かれ、X線結晶学が花開いていく。
合金の評価に用いた本多光太郎、実験鉱物学の神津らなど、あげるときりがない。


「思想」1936年3月号に、西川が故寺田寅彦の思い出を書いている。
これは、寺田が初めてラウエ斑点を見いだし、それをたまたま通りがかった西川に見せて喜ばせるという内容だが、とてもいい話だ。
この文の最後はこう締めくくられている。

此の場合に限らず、何時も先生は一見どこから手をつけてよいか分らぬような問題に最初の緒を見出して後進を導かれたのは誰もよく知って居ることで、僕なども先生の御勧めでX線の方をやり出したがいつも行きつまりさうになると必ず先生に道を示して頂いたものであった。


教育者は、こうありたいね。

*1:正確に表現すると、この学位論文のテーマを出したのは、かの A. Sommerfeld で、それをP. P. Ewald が研究し、この結果について相談を受けた Laue らが詳細な実験を行ったとみるべきであろう