教育的指導

nuc さんのブログを読んで、「ああ、そういうのあるなあ」と思った。
オレにも思い出がある。
http://d.hatena.ne.jp/nuc/20051201/p1


科学では、より自然を正確に記述するモデルがよりよいものだ。
そして、そのような仮説を立てるのは誰だっていいし、おかしなモデルは淘汰されるべきだ。
そこには上下関係もなければ、損得勘定もない。
どんなに偉い人が言ったことでも、おかしなことは誰でも「おかしいぞそれ」と言える。
子供が科学者に言ってもよい。それが科学。
だからオレは科学が好きだ。


たとえ道徳とはいえ、教科書に「ありがとう」と書いた容器の中では、「馬鹿野郎」と書いた容器の中に比べ、水がきれいな結晶*1になるなんて書いてある文章を採用してもらっちゃ困る。
結晶学に携わる人間として、この話は無視できない。
荒唐無稽すぎる。
結晶化は初期条件に強く影響される現象だ。「ありがとう」「馬鹿野郎」の言葉よりもまず、初期条件のバラツキによる結晶化の差の影響は非常に大きい。
つまり、誤差範囲の中でばらついているデータを自分に都合の良いように抽出しているとしか考えられない*2
水に音楽を聞かせてみるってのは、エネルギーの授受を伴うから影響があるかもしれないが。
http://www.hado.com/dengon.htm
↑この本は図書館の相互貸借で借りてみる予定。買う気にはなれん。


オレが「ありがとう」「馬鹿野郎」の両文字を書いてある容器で化合物を結晶化させてみようかね。有為の差が得られるとは到底思えない。
いや、水じゃないからダメか。

*1:そもそも、「きれいな結晶」という定義が曖昧すぎる。骸晶なんぞ回折実験する気にもなれん。

*2:まあ、メンデルもそうしてたって話はおいといて