くろべらな日*1

今日の場所は、日本を代表するペグマタイト鉱物産地、黒平です。

ここは甲府市の北端に当たり、花崗岩に胚胎したペグマタイトの鉱物類で有名です。
「黒平を制するものは日本を制す」という言葉があるように、ここはなかなか難しい場所なのです。
当たり外れの差が大きく、しかも範囲がぺらぼうに広く、そして地形が急峻です。
きっちりペグマタイトの鉱兆をつかめないと、なにも採れないということが平気で起こる、それが黒平です。
そのかわり、大当たりだと、運びきれないほど鉱物の結晶標本が採れるそうです。
私はそこまで採ったことがありませんが。
一度でいいのでそのぐらい当てたいです。


朝、早く起きてあわてて朝食を取ります。
ある沢のさらに枝沢(涸れ沢というか、ガレ場です)に取り付きます。
砂防ダムを上がると、大量の石英塊が落ちています。
単結晶に近く、結晶面も何面か出て透明なものも多いので、煙水晶のかけらですね。

でも、サイズは大きいです。一番大きそうなもので50cm、普通のサイズでも20cmぐらいのかけらがゴロゴロしてます。
この塊を見れば黒平の底力が理解できます。
おそらくこの石英を供給したペグマタイトは脈幅が1m以上はあるでしょう。
このかけらを供給する場所を目指してガレ場を詰めます。
しばらく上がるとマサだらけの岸壁にたどり着きます。

どうも供給源はこの岸壁の右側らしいです。
斜度は60度近くあります。木につかまって何とか上がります。
が、ガレ場はマサの臨界角をとうに超え、岩盤の出たナメ状です。
しかも足場はグズグズ。足を滑らせると50m下まで落っこちるのは確実でしょう。
「あと一歩が踏み出せれば」というところまでは、だましだまし行けましたが、あと一歩が踏み出せません。
堕ちて死ぬ可能性大です。
残念ですが、ここはあきらめましょう。
本気でやるなら、尾根沿いに上まであがって、懸垂下降で下りてきたほうがよさそうです。
多かれ少なかれ、黒平ってどこもこんな感じです。急斜面に泣かされます。


さて、ここからが醍醐味です。
大きなペグマタイトを狙うと時間がかかり、空振りが痛いので、送りバントよろしく小さなガマを狙います。
岩盤をよく見ると、結晶の粗いペグマタイト質の部分が出ていたり、あるいは文象組織が出ていたりします。
こういうところにガマがあります。
黒く汚れているところも要注意です。黒いのはガマに入っていた粘土が流れたものです。
花崗岩の風化が強く、菜箸でつつくだけで岩盤に穴が掘れます。
見込みのありそうな部分をつついて長石の蓋をはずすと、水晶がバラバラ出てきました。



↑今、ちょうどガマが開いて水晶が出てきたところです。文象帯のない小さなペグマタイトのガマで、写真中央の水晶は3cm。黒い粘土が詰まっているタイプのガマです。


ただし、大きなものでも5cmなので、黒平産では小さいものです。
透明感のある長石が多いです。
ここの煙水晶は独特の赤みがかった色で、薄墨色のものはとてもきれいです。
ツヤツヤで、とても愛らしい色です。
マサの上にもパラパラと水晶が散っていました。
どうやら露頭の上から落ちてきているらしく、粘土の付いた落ちたばかりのものもあるので、今まさにガマが崩落しているのでしょうが、どうやっても露頭の上にアプローチできません。無念。


3つほどガマをさらってみましたが、みんな10−15cmぐらいのガマしか開きませんでした。
収穫は水晶と長石のみ、トパズなどは残念ながらありませんでした。
それでもまあ、空振りだけは避けられたのでよしとしましょう。


車まで戻り、付近をぐるぐる回ります。
地形図に載っていない*1林道があり、ゲートが開いているので行ってみます。
車に載せたパソコンの地図ソフトに、ハンディGPSの現在地データを10秒間隔でプロットします。
すると、ちょうどこの林道は黒平向山の大戸屋相場穴と明電穴の真横を通っていることがわかりました。
黒平向山は、雄鷹山の周囲にある数十の水晶採掘跡の通称で、江戸−明治時代の採掘跡が多いです。
甲府の水晶細工を支えたのは、ここの水晶といっても過言ではありません。
大戸屋相場穴は、江戸時代に多量の水晶を産した巨大ガマで、ここの水晶を相場の基準として値段を決めたのが命名の由来と言われています。



すこし林道から離れた急斜面に、大戸屋相場穴のズリがあります。
ズリは木が覆い茂っていますが、ちょっと落ち葉をどかすと水晶のかけらがいっぱい混じっています。
透明度の高い無色の石英のかけらです。ガラスのように透明ですごくきれいです。
太い水晶では、径10cmほどの断片があります。ただし、完全な形のものはありません。
石英のかけらを追いかけると、簡単に大戸屋相場穴に到着しました。
北におよそ40度ぐらいの傾斜で落ち込んだ、数条の石英脈でした。
穴の入り口はさしわたし7mほど。脈は無色の石英で、粗い結晶質です。太さが確認できるところで5−10cm。
この脈を単純に押して掘り下げた坑道で、奥のほうは崩れて入れませんが、10m以上の深さはありそうです。
この脈の空隙部をつつくと、小さな水晶が採れました。
つやつやした、無色透明の水晶です。


江戸時代、この穴を掘った人夫も、きっとこの輝きに魅せられたことでしょう。
ここから出た大量の水晶は、ハンコになったり、簪の飾り玉になったり、床の間の飾りになったかもしれません。
今は訪れる人もほとんどいない大戸屋相場穴は、ゆっくりと自然に還っていました。
見守っているのは、トリカブトの紫の花でした。


還り、乙女高原に抜けて帰る道を取ったら、山の中で真っ暗になりました。
途中、白い服を着た女の人が錫杖か鈴を鳴らして車の横を通り過ぎるのが見えました。
・・・ん?
ちょっと待ってください。
なぜ真っ暗なのに、女の人が一人で歩いてるんでしょう?
下の民家まで5km以上あるのに。
しかも、なぜ暗いのに車の横を通り過ぎたのが見えたんでしょう?
車の窓を閉めているのに、なぜ鈴の音が聞こえたんでしょう?


という感じで、夜は暗く怪しく更けていくのでした。ホントだよ。

*1:一番新しい2.5万地形図幅には半分ぐらい載っていました