びん

写真は清越鉱山の試掘跡に転がっていた瓶です。
普段はこういうものはあまり拾ってこないのですが、なんとなく気に入ったのでポケットに入れて持って帰ってきました。
ワサビも沢にちょぼちょぼ生えていたのですが、ワサビを採ると(自生であるにもかかわらず)泥棒扱いされちゃうことがありますから、手を付けませんでした。
空き瓶なら拾っても文句は言われますまい。
鉛筆立てにしよう♪

(↑Nikkor 28mm F2 開放/D80


要するにただのガラス瓶なのですが、肉の寄り方がひどく、まともな機械吹きではなさそうです。
砂型の継ぎ目も砂目もはっきりわかるので、砂型を使った手吹きでしょう。
おそらく、かなり昔のものです。予想するに昭和初期かそれ以前か。
こういうガラス瓶って、砂の雌型に鉄パイプ先端*1の種ガラスを入れ、型の内部で吹いて瓶を整形し、口巻きを作った後に焼き鈍しして仕上げます。
ただ、それにしても肉が寄りすぎているので、職人の仕事とは考えづらいのです。
瓶しか吹かせてもらえないような15歳ぐらいの若い丁稚が、親方に鉄管でケツを叩かれながら、泣く泣く吹いて作ったような感じでしょうか。
それが何かの食品の瓶詰めとして遠い昔に流通し、鉱夫がそれを肴に酒を飲み、打っ棄った瓶が鉱山跡に転がっていたのでしょう。


清越鉱山で不思議だったのは、人がめったに入ってこないような沢の奥に試掘跡と古い石垣の段々があり、その上が一面の紫蘇畑になっていたことでした。
もちろん冬だったので枯れていましたが、間違いなく紫蘇でした。
閉山よりもずっとずっと前に誰かが撒いた紫蘇の種が、今年も大きな畑を人知れず作るのです。
変な感じでした。
鉱山跡は廃墟になっていることが多く、廃屋というよりもうボロボロに腐り落ちていることが結構あるのですが、そんなところでヘンなものを多く見かけます。
この間は撤去した廃屋の囲炉裏端跡に瀬戸物が散乱し、出征記念の杯が転がっていました。


いなくなってしまった人が残した生活の残骸が、腐らずにそのまま時代を超えて転がっているのです。
ロマンを感じることもあれば、荒涼とした無常感を味わうこともあり、あまりにも生々しい生活の記憶に戦慄することもあります。
この感覚は、戦跡や廃墟や鉱山跡を周っている人にはよくお分かりいただけることでしょう。

*1:理化学ガラスでは、昔から日本独自の吹き方として、ガラス管先端にガラス種を付ける手法がありますが、一般用のブローワークではやはり鉄管でしょう。