足尾銅山
私が一番最初に訪れた鉱山、今までで一番行った回数の多い鉱山は、いずれも足尾です。
楽しいんですよ。足尾。
いまさら説明するまでもない足尾銅山ですが、明治後期は日本の銅の全生産量の四割を出したこともあり、別子、日立と並ぶ日本を代表する銅鉱山です。
田中正造の鉱害直訴で有名なんですが、文句は古河にどうぞ。
写真は現在の観光坑道です。
http://www15.ocn.ne.jp/~ashiokan/doukan/doukan.htm

通洞坑の入り口のループを観光坑道にしています。
あの奥は、途中もう一回ループ(選鉱所に出てくる)があり、そこからずっとずっと地底まで続いていて、大斜坑(通洞大立入)は今でも入ることが出来るそうです。
坑道の総延長は1000kmを越すと言われています。
で、連慶寺河鹿の資料を読み直しています。
河鹿鉱床というのは、足尾の独特の鉱床形態で、塊状交代鉱床という名前の付いた大きな黄銅鉱の塊です。
鉱石の品位がすこぶる高く、手選で直接精錬に持っていけるというのはメリットです。
30mはある黄銅鉱の芋状の塊がチャートの下に潜っていると考えるのが正解でしょう。
河鹿鉱床由来の銅品位は平均15%あったって言われます。脈幅品位でですよ。
鉱石中に1%銅が含まれれば儲けが出ますから、15%というのがいかにすごいか。
純粋な黄銅鉱で34%の銅を含んでいます。鉱石の半分が黄銅鉱というわけです。
おそらく、連慶寺や有越の河鹿を採掘していた時は、切羽の周りがすべて金色だったのでしょうね。
図は大正時代の坑道図なのですが、坑道が書かれています。

さすがにこれは古くて、閉山時はだいぶこれと変わっています。閉山は昭和48年です。
右上から中央にかけて直線に走っている坑道が連慶寺東立入、水色のモヨモヨが河鹿鉱床です。
左下にちょこっと通洞大立入が出ています。
観光坑道の突き当たりの鉄柵の先を行って右に入ったところがこの図の範囲に相当します。迷路です。

垂直方向だと、こんな感じ。右が通洞坑側です。

基本的には掘り上がりです。
この頃はまだ、亜鉛河鹿などの戦後に開発された河鹿が書かれていません。
また、いずれの図もだいぶはしょって書いてあります。
興味がありましたら、ぜひ足尾を訪れてください。

(↑有木坑(本山坑)。レールと右にちょっと写っている建物は取り払われて今はありません。)
鉄錆フェチには桃源郷かもしれません。

(↑小滝坑)
何でいつも「足尾に来てね」って書くかっていう理由は、足尾は古河が精錬をやめてからものすごくさびれてしまい、観光客を頼りにするほか無いのです。
鉱物採集の人は、必ず足尾の街中で車のガソリンタンクをいっぱいにして、お昼ご飯も街中で調達してくださいね。義務ですよ義務。
街中の定食屋にも、黄銅鉱の結晶付き花瓶がゴロゴロしてます。