食品の安全性

マンナンライフの製品やら残留農薬の問題やらで最近はこの話がニュースをにぎわせますが、では、アブない食品とはいかなるものなのか。
これを分類すると、当然のごとく以下のようになります。

  1. 物理的に危険な食品
  2. 化学的に危険な食品
  3. 生物学的に危険な食品


上から下に行くほど、消費者の危険察知本能に基づく回避が難しくなるでしょう。
そして、これらは複合的に作用して、人体に影響を与えます。
まあしかし、切り離して考えることにしましょう。
与える危険度の大きさによっても細分することができます。これは重要な指標ですが、ここでは触れません。


「物理的に危険な食品」とは、物理的な作用によって摂取者が害を被る食品です。
餅を喉に詰まらせたとか、天婦羅の衣で喉切ったとか、魚の骨が喉に刺さったとか。
ガムを咬みそこねて口の中を咬んでしまい、口内炎になったとか。
電子レンジで過熱したグラタンを食べてベロを火傷したとか、ね。
こんにゃくゼリーはここに分類されます。今回は死に至る作用を多く及ぼしてしまいました。
大部分のこれは摂取者の想像力により回避できます。これは生き抜くための本能です。


「化学的に危険な食品」とは、中に含まれている化学物質の(人体に対する)化学反応により危険性が発現するものです。
化学物質に対する生理作用は後述の「生物学的に危険な食品」と密接な関係があるのですが、便宜上分けます。
「どくいりきけん たべたらしぬで」と書かれたシアン化カリウム入りチョコレートを食べて死んだとか、ライスオイルにポリ塩化ビフェニルが混入されていて中毒したとか、ですね。残留農薬やメラミンはここです。
「毒」と呼ばれるものは、ここに分類されます。
その毒の供給源は、天然物であるか合成化学物質かには依存しません。
毒キノコもここに入るでしょう。
これは摂取前に取捨選択が難しくなります。
毒成分を人間が検出できる(ヤバイ匂いや味)など、五感に訴えるものがあれば察知できるでしょう。
そうでなければお手上げです。わかりませんから。
食品の供給経路を疑うしか方法がありません。
毒のある植物は食わない、間違えそうな山菜は必ず経験者の判断を仰ぐってのは基本中の基本ですよね。


「生物学的に危険な食品」っていうのは、中に含まれている生物学的な種が、何らかの害を摂取者に及ぼすとここでは考えることにします。
この、「何らかの害」ってのは、およそ物理的もしくは化学的な作用なので、これを厳密に区分することはできないのですが。
バッカク菌で汚染されたライ麦パンを食べたら、バッカク菌が生産したアルカロイドにより四肢に異常を生じたとか、アニサキスの入った魚の刺身を食って寄生虫被害を受けた、とかの事例ですね。BSE もここ。
痛んだ肉食って腹壊した、ってのはよくあることでしょう。
これも消費者が危険予知することはかなり困難です。
盲目的に供給者の生産物を食べる限り、これに引っかかることは少なくないです。
外来の生物種が目に見えれば、その食品を食べないという選択もできるのですが、そうでなかったらお手上げです。


食糧を自分で生産したり捕獲することをせずとも、現金で容易に購入できるってのが資本主義の大きなメリットです。
資本主義を捨て、自分ですべて賄おうとすると、かなりの手間がかかります。
そういう能力は、経験によって身に付くので、もはや誰でもできるってわけでもありませんし。
で、生産者が生産する食品中にたまに出てくる危険な食品をはじくために、厚生労働省が法規制をかけています。


私は自分で食糧を生産することを捨ててしまいましたが、海野山で食べられるものを探すのは好きです。
キノコ採ったり、虫採ったり、山菜採ったりして料理しています。ヒザラガイとか(笑)。
自分で食糧を確保するのは、資本主義社会が置いてきてしまった人間の原風景。
厚生労働省もへったくれもありません。
自分の経験と知識と訓練と、いくばくかの勘によります。
「なんかこれ、くえそうだ」というヤツです。
結果はすべて自己責任。


そういう私が考えるに、「物理的に危険な食品」による害って、生産者もそうですが消費者側も注意が足りないんじゃないかな、って思いますね。
これだけは消費者側が危険予知することができるのです。
丸呑みするな、良く咬め、ってね。
丸呑みしやすいような形状の容器に製品を詰めるほうが悪いのか、丸呑みするほうが悪いのか。
食の適不適の判断が本人ではできない場合、周りが注意を喚起するべきです。
グツグツ煮えたおじやをそのまま乳幼児に与える親はいないでしょう。
餅とこんにゃくゼリーの差別化はどこでしたらいいのでしょう?


苦いものはすべて甘く味付けてしまい、硬いものは軟らかく煮てしまう。
そんなものだけをブロイラーのように与えられるだけの食生活はまっぴらです。
「食べる」ってことは、もともとは命がけの行為。
私はしばしば自分で食材を用意し、ささやかに存在するスリルとサスペンスを楽しみ、置いてきてしまった生存能力をたまに呼び戻しているのです。
人から気付かないうちに毒を盛られるのはごめんですから、それには気を払っています*1

*1:煙草による害はまた別の話です