3月10日

上の本にも関連しますが、今日は3月10日。64年前に東京大空襲のあった日です。
昭和20年の今日、サイパンを離陸した B-29 が、木造家屋をターゲットに開発した焼夷弾を大量に東京の都市部民家に撒き散らし、非戦闘員8万人を焼き殺しました。
私は体験した世代ではありませんが、オフクロは焼き出され、戦火を逃げ惑う経験をしています。
言問橋の橋のたもとにいたそうです。
暗い話です。
3月10日の東京都市部を狙った空襲は、端から人を焼き出します。大量の家財道具を持って人々は逃げ出します。
向島で焼き出された人々と、浅草で焼き出された人々が「橋の向こうに渡れば何とかなるに違いない」と、鉄骨の言問橋の上で互いに鉢合わせ、まったく動けない状態になったそうです。
大火災はものすごい上昇気流を作り出します。
どのくらいかというと、木の電信柱の付け根が燃え崩れても、まったく落ちてこないで電信柱がそのまま宙に浮いている、そのぐらいの乾燥した熱風の上昇気流ができるのだそうです。
多くの家財道具を積んだ大八車で埋まった言問橋は、その熱風で乾燥され、ある瞬間に着火して火の海になりました。
かろうじて隅田川に飛び込むことのできた人も多くが水死し、翌日の隅田川は浮いた死体で表面が埋め尽くされたと聞いております。


東京大空襲で多くの家屋に着火した焼夷弾の中身は、ナパーム剤です。
液体の石油類では着火性能に劣り保存が厄介なため、油脂の三価アルミニウム塩を石油に加えゲル化させ、これを撒き散らしました。
それと、黄燐弾だと言われています。
今は黄リンとは言わずに白リンというのですが、リンの単体と火薬が数キロ詰まった爆弾で、信管から誘導される爆発により多量の白リンを周囲に飛散させます。
白リンは空気との接触により燃え出し、水で消し止めても乾燥させればまたすぐに自発的に燃焼します。白リンのたちの悪さを最大限に活用したものです。
リンが燃え尽きるまで、あたりの可燃物に勝手に着火し続けるのです。
沖縄・読谷の岬で今から15年ほど前に単体のリンが見つかりました。
ハンマーでぶん殴ると燃え出すという写真は鉱物マニアをびっくりさせましたが、結局は戦時中の黄燐弾の名残だということになったようです。


化学はうまく使えば人を幸せにしますが、悪い使い道を考えるととことん殺傷能力の高い人殺しの道具になります。
みんな気が狂っていた時代だったといえばそれまでですが、悪い人に悪い使い方をさせない倫理観が重要なのでしょう。