パリ・グリーン

一般には「エメラルドグリーン」として知られる古い顔料ですが、かつてカナダで販売されていた缶を買ってみました。
顔料としての通り名は Pigment Green 21 です。組成ですと Cu4(OCOCH3)2(AsO2)6 に相当します。
paris green (pigment)


ちょこっと残ってますね。鮮やかな緑です。


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アセト亜ヒ酸銅よりなる顔料で、古い毒顔料です。絵具として導入されたのは、1814年ぐらい。
同じく緑色顔料のビリジアン(含水酸化クロム)が1850年代なので、ちょっと早いです。
この前に、亜ヒ酸銅のシェーレ・グリーンというのがありました。こちらは草緑色のものです。
エメラルドグリーンは、シェーレ・グリーンの改良に相当します。


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だいたい1800年代の頭ぐらいに、旧態依然とした銅を腐らせて緑青などの緑色顔料を細々と作る旧プロセスは棄てられ、より計画的な工業製品としての顔料生産が始まります。
アセト亜ヒ酸銅の場合は、酢酸銅と亜ヒ酸ナトリウムの反応がメイン*1なんですが、混合条件と蒸発の条件で結晶の核形成が変わり、これが大いに色に影響するので、かなり生産条件に気を払われています。
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1800年代末のパリでは、こういう色を使ったビクトリア様式の緑色壁紙が大流行しました。
一面緑色の壁紙がベタリと貼られた絵画が多く残っています。
ところが、こいつが曲者でした。粉末を吸いこむと有害性がありますし、湿ったところでカビが生えると、有機ヒ素化合物のガスを出すのです。
ジメチルアルシン (CH3)2AsH だと言いますね。
この顔料の有害性に気付いた無機化学者のグメリンが警告を出した時にはもう時すでに遅し。
様々なところで使われていたこれらの含ヒ素緑色顔料は、身の周りに多く存在していて、多くの人の寿命を縮めました。
ナポレオンもその一人だったと言われます。
ただし、こいつは強い殺虫剤として使えるので、アメリカに渡ってジャガイモの殺虫や、ナンキンムシの駆除に多用されました。
もともと、パリ・グリーンの名前は、パリで殺鼠剤に大量に使われたため、という話も。
池に放り込むとボウフラを皆殺しにできます。殺虫剤としての使用は、第二次世界大戦の南方戦線のマラリア対策まで常用されたようです。
顔料の有害性ですと、工業生産された顔料の中ではこいつはダントツトップで、その LD50 は経口ラットで 22 mg/kg のようです*2


シェーレ・グリーンは色も薄く、あまり画家のパレットには乗らなかったんですが、パリ・グリーンは「エメラルドグリーン」として、多くの画家に愛されます。
マネ、モネ、セザンヌゴーギャンゴッホと、枚挙にいとまがありません。
特にセザンヌはこの色を好み、瑞々しい植物の緑を多く描きました。


河上 徹太郎「大鳥圭介南柯の夢」(1955)

沼の水は指をつけると染まりさうなエメラルド・グリーンやセルリアン・ブルーであり

津島祐子「火屋」(1973)

エメラルド・グリーンの深い森に囲まれた、三本の黄色い円錐形の塔を持つ西洋の城の遠景が、鮮やかに父親と娘の正面に現われる

のような感じで、文学上は「エメラルド・グリーン」という色の表現が多く出てきます。ただし、これが本当のエメラルド(緑柱石のほうね)なのか、アセト亜ヒ酸銅の顔料の方なのかは、いまひとつはっきりしないことがほとんどです。


昭和17年の塩田力蔵「東洋絵具考」には、「花緑青」という名で、パリ・グリーンとシェーレ・グリーンが紹介されています。
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日本では、しばしば緑青が猛毒だ、って話があるんです。ンなことないよ、どうもおかしいなと前から思ってたんですが。
これを調べてみると、普通の緑青(塩基性炭酸銅; 普通の劇物)と、花緑青(アセト亜砒酸銅; 毒物)の混同が一部で起こってるんですよね。
「緑青が猛毒だ」という誤認は、どうもこのあたりから来ているような気がしてなりません。


食品衛生誌に、緑青中毒の話があります。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/shokueishi1960/21/5/21_5_327/_pdf
餅の着色の緑色顔料で中毒するという話なんですが、どうもこれが「緑青」ではなく、「花緑青」っぽいんですよね。


(参考)Paris Green (Wikipedia) https://en.wikipedia.org/wiki/Paris_green


Emerald Green(ColourLex) http://colourlex.com/project/emerald-green/


DANGERS IN THE MANUFACTURE OF PARIS GREEN AND SCHEELE'S GREEN
Monthly Review of the U.S. Bureau of Labor Statistics
Vol. 5, No. 2 (AUGUST, 1917), pp. 78-83
https://www.jstor.org/stable/41829377?seq=1#page_scan_tab_contents

古い合成レシピ
http://www.webexhibits.org/pigments/indiv/recipe/emerald.html


The Color of Art Pigment Database: Pigment Green, PG-21
http://www.artiscreation.com/green.html#.VryrEub7MfU


http://www.absoluteastronomy.com/topics/Paris_Green


エメラルドグリーンの有害性についてよくまとまっているブログ
https://janeaustensworld.wordpress.com/2010/03/05/emerald-green-or-paris-green-the-deadly-regency-paint/


MSDS(アセト亜ヒ酸銅)
http://anzeninfo.mhlw.go.jp/anzen/gmsds/12002-03-8.html

*1:二つあって、もう一つは硫酸と亜ヒ酸ナトリウムと酢酸を足します

*2:無機顔料で、はっきりとした急性毒性を示すのは、こいつと、淡口のコバルト紫(含水ヒ酸コバルト)、鉛白(塩基性炭酸鉛)あたりが強めです。