ホメオパシー療法のまやかし

新しい Nature に、下記の論文あり。


Ultrafast memory loss and energy redistribution in the hydrogen bond network of liquid H2O, M.L. Cowan, B. D. Bruner, N. Huse, J. R. Dwyer, B. Chugh, E. T. J. Nibbering, T. Elsaesser, and R. J. D. Miller, Nature, 434, 199 (2005).


細かい話は省くが、水の水素結合ネットワークのメモリー効果は 50 fs (フェムト秒)程度で消えるというもの。
恐ろしく速い。光の速さでも、15ミクロンしか進めないぐらいの時間。


水の特性は、極性の高い水素−酸素結合が分子間で作り出す「水素結合」が大きな役割を担っているというのが化学の基礎知識だ。この水素結合によって、水の沸点、融点、粘度などの巨視的な物理的性質、溶解性や反応性などの化学的性質のかなりの部分が発現している。
この水素結合は三次元方向に無数に繋がっており、ネットワーク構造を作っている。この高次構造はそれなりの寿命を持つと言われていた。これは言う人によって違い、マイクロ秒という人もいれば、数十年という人もいた。寿命を測る実験がそれほど簡単でないためだ。


そこに目を付けたのかどうかは知らないが、「ホメオパシー療法」なる似非科学がある。薬を水でものすごい高希釈にすればするほど、薬効が上がるというのだ。
彼らの論拠のよりどころは、つまるところ、その水のメモリー効果である。
たとえ検出されないほど高希釈になっても、水は薬の溶存していた状態を記憶しているのだという。濃度単位で言ったら、10-100mol/l ぐらい。笑っちゃう濃度だ。


しかし、この論文の結果ははからずも、このホメオパシー療法の矛盾点を完膚無きまでに叩きのめしている。
この実験は、水の水素結合ネットワークはだいたいの科学者が想像するよりはるかに速いことを示した。フェムト秒単位でその特性を失うものが、医療に利用できるはずがない。


まあ、この論文に頼らずとも、ホメオパシーは科学的には完全に破綻しているのだが。
迷信、おまじないだ。


ホメオパシー療法 (Hotwired)
http://hotwired.goo.ne.jp/news/news/technology/story/3887.html
(Google検索)
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&ie=Shift_JIS&q=%83z%83%81%83I%83p%83V%81%5B%97%C3%96@&lr=


ホメオパシー療法の溶液調整は、書いてあるサイトによってまったく違うようだ。一番信用できる(?) Hotwired のやり方を例にとって考えてみる。

ホメオパシー治療薬は、原料――化学物質、元素、植物、あるいは毒物の場合もある――を水で10倍から100倍に薄める。そしてこの溶液をしっかりと振り混ぜる。それからこの溶液1滴をさらに10倍から100倍に薄める。このプロセスは『サクセシング』と呼ばれる。


 この混合溶液を再び振り混ぜ、サクセシング・プロセスを繰り返す。これを数百回、ときには数千回繰り返した後、溶液を粒状の糖の上に注ぐ。薬はこの粒の形で投与される。


Hotwired の実験法は、正当な化学の希釈法に似ている*1
1.0 mol/l *2の溶液を、1/10 に希釈する。これを百回繰り返す。
すると、1.0 x 10-100mol/l の溶液ができる。
アボガドロ数が 6.02 x 1023 個/mol だということを考えると、この溶液が途方もなく希薄だということがわかる。
もともと含まれていた分子は一つたりとも含まれていない。


水というのは、ものすごく極性化合物を溶かす溶媒だ。
「無機化合物にとって、水は最良の溶媒だ」という教えがある。まさにその通り。どんなものでも溶かし込むのだ。金だろうがウランだろうが、とにかく何でも(微量ながら)溶解させる。
もし、検出限界が 10-100 の分析機器があったら、すべての元素が水道水中に存在するのが確認できるだろう。 間違いない。
仮に水の水素結合ネットワークのメモリー時間が、商品が流通できるぐらい長時間だと仮定したとしても、水に溶け込んでいるありとあらゆる他の分子やイオンのメモリー効果のために、薬効なんか出やしないだろう、と普通は考える。
炭酸イオン、塩化物イオン、リン酸塩イオン、鉄イオンや有機物の濃度の方がはるかに高い。これの薬効はどうなんだ、と小一時間問いつめてやりたい。
他のイオンや分子の濃度は 10 ppm (1 x 10-5)とかそういう単位だが、相手は 10-100mol/l だからなあ。
振ると水素結合の構造が溶存成分の構造を覚えるとでもいうのだろうか*3?ばかげてる。


振ると薬効のあるクラスターができるとか*4、長時間クラスターの構造が保たれるとか、薬効分子が含まれていないのに薬効が出るとか、クラスターが薬効分子の情報を記憶するとか、ホメオパシーの考えはまったく荒唐無稽なものだ。
当たり前の話だが、やっぱり、反応速度は濃度に比例するものだ*5
売る側にとっては、原価は水代に漸近的に近づくから、儲かるだろうけどね。


オレは似非科学のうち、最もこの種の「病人の弱みにつけ込んだ」詐欺が大嫌いだ。
紫外吸収スペクトルの溶液調製などで4回ぐらい希釈するのでもかなりだるいので、「数百回、ときには数千回繰り返し」ているとは思えないけどさ。まあそれは聞かなかったことにしておいて。


ただ、あとでふと考えたら、ホメオパシー療法に関しては業者はほとんど儲からないということがわかった。
消費者が一粒の薬を入手したら、それを100倍希釈すれば、「より効果のある」薬になるんでしょ?
もう一回100倍希釈すれば、一万倍に増えちゃう。なんて経済的!



ホメオパシーをもし信じている人がいたら、そうやって治療薬を調製してはいかがか?

*1:この日記を日付通り書いたときは別のサイトを見ていたので、「一分子も含まれていない」というのは間違いだ、と書いたのだが、Hotwired 記載の方法は確かに「一分子も含まれていない」。訂正。

*2:ものすごく濃い溶液。薬が溶液1リットルに何百グラムも溶け込んでいる状態

*3:チキソトロピーといって、高分子溶液などで、振ると物性が変わる現象があるが、薄めるほど効果がでるわけではない

*4:アルコール-水系クラスターで振るとサイズが小さくなるという結果はある

*5:だからって、濃度が高ければ高いほど薬効があるというわけではない。ものには加減というものがある。