気仙産金遺跡調査に着手 鉱山史、歴史学的解明へ

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 気仙産金遺跡の学術調査が、二十三日から二十五日まで気仙各地で行われている。文部科学省による大学共同研究事業の一環で、未解明な部分が多い中世移行期における鉱山開発と地域社会変容の歴史的意味をさぐる。金山遺構の調査が主で、初日は採掘道具や実際に住田町で見つかった全国で三番目に大きい川砂金塊にも注目した。気仙の産金がどのような方法で採掘され、どのように地域社会を変えていったかが解明されるものと関係者の間でも関心を集めている。
 今回の調査は、文部科学省科学研究費補助事業による「中世移行期における鉱山開発と地域社会の変容に関する研究」の一環。三カ年事業で今年が二年目になる。大学研究者が産金史をテーマに気仙に歴史学的視点で調査に入るのは今回が初めてという。
 調査メンバーは、代表の池享(いけ・すすむ)一橋大学大学院教授はじめ、平川新東北大学教授、柳原敏明東北大学准教授、七海雅人東北学院大学准教授ら七人。案内役として、産金遺跡研究会(平山憲治代表)の会員ら十人が協力している。
 調査団の一部は、今年五月に下調査で気仙を訪れており、今回は住田町上有住にある民俗資料館、九両ケ池、大船渡町の山馬越金山、猪川町の盛富金山とオリエント・ロマン館、猪川館遺跡、日頃市町の沼川精錬所跡などを視察した。
 このうち、住田町民俗資料館では、川砂金採取の道具として使われた篩(ふるい)や揺り板、揺り鉢、ネコガキ、金挽き臼など、金掘りや砂金採取道具に関心を示し、九両ケ池では、露天掘りの遺構調査も行った。
 また、昭和五十一年に気仙川に架かる垣の袖橋(世田米)の改修工事の際に見つかった川砂金塊(個人蔵)も、今回の調査のために“公開”された。
 この川砂金塊は、国立歴史民俗博物館の鑑定によると重量が二十二・四グラム、長さ三・五センチ、幅一・五センチ、厚さ○・七センチほどの大きさ。
 現存する川砂金塊としては、北海道の枝幸金山で発見された川砂金塊(二個)に次いで日本で三番目に大きいもの。金合有率は93・31%と非常に高純度の貴重な金であることが説明され、注目を集めた。
 今回の調査では、学生たちも加わり、気仙に残る古文書や一関市東山町の鈴木家文書などを繙いている。
 池教授は「世界遺産に登録された石見銀山のような大規模遺構と違い、中世移行期の鉱山の実態は未解明の部分が多い。鉱山開発によって人口が集中することで、地域社会にどのような変動をもたらしたのか。産金関係の古文書や遺跡調査を関連づけて研究することで、当地の産金史を明らかにし、内外にアピールしていきたい」と話す。
 古い鉱山跡には“千軒伝説”が多く、金の含有を知り、それを採掘する技術者、鍛冶、坑夫など多様な職種の人たちが集まり、大きな集落が形成された。
 産金遺跡研究会の平山代表は「ゴールドラッシュの時期があるが、その背景に為政者の保護育成があった。猪川館や東角地、里古屋といった産金遺跡発掘が高く評価されている段階で、地元ではあまり知られていない」とし、今回の調査を通して産金遺構の歴史的研究の一層の進展に期待している。
 調査団は最終日の二十五日、陸前高田市にある雪沢金山や玉山金山などを訪れる。

2007年11月25日付 1面