マルチフォトという古道具

さて、今日はマルチフォトについて書きます。


マルチフォトというのは1960年代の開発設計の日本光学(現ニコン)の大判用大型マクロ撮影装置です。
もう半世紀も前の光学機器ですね。90年代初頭まで作っていたと聞いております。
hyoushi
開発当時、低倍率の顕微鏡対物レンズは作りづらく(長い焦点距離に対し WD を短く取る設計が難しいらしい)、かつ通常のマクロレンズは 0.5倍ぐらいまでの倍率にしか対応できませんでした。
すると、顕微鏡未満マクロレンズ以上の倍率に、撮影が難しい領域ができます。
倍率で言うと等倍−15倍ぐらいの範囲ですね。
これを埋めるべく、レンズの直焦点で0.3−40倍を撮影するように考案されたのがマルチフォトです。
こんなの。これはウチの子です。
multiphot


マルチフォトの利点は、低倍率でのマクロ写真が容易に撮れること、照明系に優れていること、大判による高画質の撮影が可能なことでした。


レンズがマクロニッコール
ニコンでは等倍以上の倍率を有さないマクロレンズは「マイクロニッコール」という名を付け、これを頑なに守っていますから、マクロニッコールという名前はニコンエンスーの心をひきつけます。
マクロニッコールは4本組のレンズです。
four tiny gems
このレンズ、60cm ロングベローズをバリバリに伸ばした時に基準倍率に達するように設計されています。
小さいレンズ二本 (19mm, 35mm) は顕微鏡対物レンズの RMS マウント、大きい方は L39 マウントです。
当然、ピントリングはありません。
19mm, 35mm の絞りリングのドライ駆動は「ホントに大丈夫?」って思いたくなるほど。
スカスカなんですもん。
ルミナーやフォタールのしっとり感を味わうと、ちょっと不安に思えてきます。
直の焦点の像は、いずれもかなりしっかりしています。
開放状態で高画質を得られるように設計の口径比に無理がありません。
12cm とか F6.3 が開放ですよ。そんな暗いマクロにしなければ大判をカバーできないみたいですね。
当然、短いレンズは基準倍率ではファインダーが真っ暗です。
19mm を、基準倍率開放で通常の室内光でみると、暗黒です。ホント。
見えるんじゃなく、ここにピントがあるに違いないというカンでないとシャッターが切れません。
当然露出時間は長くなります。すると一眼レフではミラーの跳ね上げ、フォーカルプレーンシャッターの振動を拾います。
高倍率の世界は、ちょっとでもぶれたらオシャカです。
それをカバーできるのがマルチフォト。
振動をできる限り減らす異常に剛直で重量のある架台、レンズの真後ろのコパルシャッター、(当時にしては)よく考えられた照明系がそれを実用に足るだけサポートします。


千夜一夜にもありましたが、12cm の後継が Nikkor AM 120mm です。
コンセプトはほとんど同じ。等倍の大判対応レンズで、無限遠を捨ててます。
レンズ枚数を増やして、かつコーティングも改善されています。
マウントのバランスはマクロニッコールのほうがいいでしょうが。
12cm はレンズボードに付けるレンズですから。


照明系統は基本は集光の透過照明です。ケーラーはこんなに広範囲のものを照らせませんので。
lighting
撮影範囲に合ったコンデンサレンズで、被写体の下から透過します。
薄片ならこれで大丈夫。
不透明物体ですとこれだとシルエットしか見えませんので、落射照明を使うか、ミラーで集光します。
回り込んだ光を梨地の曲面鏡で集光させます。これはリバキューンミラーと呼ばれます。

もう一つ、レンズの前にハーフミラーを置き、同軸で無影撮影ができるものが用意されています。
half_mirror_for_MN35
19mm は WD の関係でこのブロックが入れられませんから、用意されていません。
今の顕微鏡では、この種の照明は、無限補正系に完全に置き換わりました。
一回平行光にすれば、その光路のどこにでも入れられます。
開発後、落斜照明は光量の大きなファイバー光源や、リングフラッシュ、リングLED 照明などが容易に利用できるようになりました。
これを使えば、リバキューン鏡の使用は事実上不必要。
唯一残されたのは、大きな薄片を一様に透過照明で照らし、等倍近い低倍率で撮影するぐらいでしょうか。
しかし、そんなことをするシーンは医学や生物学の研究分野しかありません。
立体物なら昨今のマクロレンズが使えますし。


で、私が仕事用で予算200諭吉で、低倍率顕微鏡写真を撮る必要があったとします。
そしてなぜかニコンが未だにマルチフォトを売っているとします。
そしたら、私は迷わず AZ100 を買います。
マルチフォトなんて使いづらい装置は買いません。
AZ100 は落射でももちろん絞れますしね。
今の顕微鏡対物レンズはすごいですよ。
Ultra Micro Nikkor と同じく、等倍付近の物体側解像力 600lpm でアポクロマートにできます。
Macro Nikkor の比ではありません。
ザクとは違うのだよザクとは!
ニコンは顕微鏡での深度合成が簡単にできるソフトウェアも開発しています。
倍率によってフランジバックが変わるのって、ユーザーからするとものすごく使いづらいのです。
マルチフォトを使う理由がありません。


そういう欠点が旧型の大判撮影装置には数多くあります。
だからライツもツァイスもニコンオリンパスも開発を止め、すべてディスコンにしたのです。
そんな中でも、ライツフォタールだけは売り続けているのがすごいですね。
そういう姿勢に惚れます。さすがだぜ。


普通、趣味では5倍までの倍率で充分です。
それ以上は、並みの撮影台では振動が防げませんし、相当大掛かりになります。
なら最初から、キヤノン MP-E を買っちゃったほうがゼッタイいいです。
あのレンズ、MTF からはすごくシャープですよ。


それでもなおかつマルチフォトを選ぶ理由がいくつかあります。

  1. 現行システムを買うお金がない
  2. いろいろなメーカーのマクロレンズを使って遊んでみたい
  3. 直焦点が好き
  4. いつか銀塩大判にステップアップしたい


最初のはしょうがないですね。ないものはない。
しかし、中古でいい顕微鏡がヤフオクにずいぶん出てますよ。非常に安く。
マルコさんの以下のページの下に、Dr. Toni のシステム (Leitz Laborlux) が出てます。
http://www.luciolepri.it/lc2/marcocavina/articoli_fotografici/super_macro_RMS/00_pag.htm
これを組めばいいんですね*1
2番目のは一番大きな利点です。とりあえずマウントさえできれば何のレンズでも使えます。
顕微鏡対物レンズはマウント、光学系、鏡筒長の規格が移り変わっているので、これには苦戦します。
趣味の世界は苦労も楽しいので♪
最後のは、回折によるボケの見かけ上の低減を狙うにはレンズ開放の深度合成か、感光面の大サイズ化しかありません。
後者は銀塩に後戻りですから、カメラメーカーはやりません。そんなでかい面の CCD は作れません。
だからどこでも深度合成ソフトウェアを開発するのでしょう。


そこまで考えないと、マルチフォト・マクロニッコールを選ぶ意味がないのです。


あまり、日記で古レンズの悪口は書きたくないんですね。
それじゃ夢もロマンも懐古趣味もないし、そもそも日記やサイトの記事として面白くないし。
でも、それはこの沼に足を突っ込もうという人は、知るべきことなんですね。


マルチフォトのポジティブな部分もネガティブな部分もよく知ってる、でもオレはマルチフォトを選ぶってのがこの沼の幸せなやり方なのです。

*1:ちなみにトニのこのミクロターは現在ウチの子になっています