牧野富太郎と原色図鑑

昨日は牧野富太郎の誕生日だったようで、ぐぐるのトップが「植物学の日」になってましたね。
小学生中学年の頃、あかね書房「科学のアルバム」と牧野富太郎の伝記が大好きで、学校図書館で何度も何度も借りて読んでいたことがあります。
その頃、私は植物が好きでした(「趣味の園芸」とか買って読んでいたのよ)。
伝記ですから、問題になった彼の人となりについては書かれてはいなかったのですが、植物記載学に対する情熱は読み取れました。
尋常小学校卒のみで、博士号をもらった人って、彼ぐらいじゃないかしら。
牧野植物図鑑(北隆館)が欲しくて欲しくて、ずっとお年玉やらお小遣いを貯めたんですが、どうあがいても小学生の買える額ではありませんでした。
するとおフクロが、これじゃダメ?と、保育社の原色日本植物図鑑(草本)を上中下3つ揃えてくれました*1
ちなみにおフクロは本屋に勤めておりましたから、ウチは本を買うことが(おそらく他の家に比べ)とても多かったのです。
マンガを除く書籍が家族一人当たり月に二冊上限、定期購読雑誌が一人当たり月に二冊上限まで家計から捻出されておりました。
ウチは建具職人の家ですからお世辞にも裕福な家計とは言えませんでしたが、本代だけは別会計で(おそらくおフクロの給与から)かなり贅沢に使われておりました。きっと食費なみにかかっていたんじゃないでしょうかね。
私の貯めたお金は原色日本植物図鑑(木本)になりました。
図鑑を開くと、学名最後の記載者に Makino の付く植物がいかに多かったことか。


オヤジは、原色鉱石図鑑(正、続)、原色化石図鑑を買い、アニキは昆虫(甲虫)図鑑を買いました。
後に、原色薬用植物図鑑を買い、中学校に上がると、原色岩石図鑑を知人が持ってきてくれました。
知人は、少ない(失礼!)収入でわざわざ私に与えるために購入してきてくださったのです。
その後、アニキと私で木下先生の鉱石図鑑をしばらく読みふけっていたのですが、アニキはそのまんま大学の地質学科に進み、私は原色鉱石図鑑の巻末にあった金属鉱物の鏡下湿式分析、吹管分析がやってみたらあまりにも楽しかったので、鉱物学じゃなくて高専の化学科に進みました。
その後、あろうことか保育社は倒産してしまったのです。保育社が潰れるようじゃアカンよ。


牧野富太郎保育社原色図鑑には多くの思い出があるのです。
原色図鑑は、今でもずっと実家の本棚の一番手の届きやすいところに置いてあります。
印刷技術が発達し、よりきれいな写真が多く載って特徴を見事にとらえた素晴らしい鉱物図鑑がその後何冊も出ましたが、私にとっての鉱物図鑑は、例えば HH 氏のそれではなく、鉱床屋まるだしの木下先生の「原色鉱石図鑑」なのです*2


あ、ちなみにマンガは「小遣いから出せ。一割引で買ってやる」と言われてました。
オヤジは「忍者武芸帳」「カムイ外伝」が愛読書で、アニキは「ドーベルマン刑事」「あしたのジョー」でしたし、アネキは「生徒諸君」「パタリロ」でした。で、なぜか私は「軽井沢シンドローム」「おれは鉄平」を読んでました。
篠原とおる「ワニ分署」、永井豪「花平バズーカ」、小池一夫叶精作「実験人形ダミー・オスカー」などのエッチなマンガは、おフクロの勤める本屋じゃなくて、別の本屋からこっそり買っていたのよ。
もちろん、「サザエさん」「いじわるばあさん」「はだしのゲン」などの定番マンガも読みましたが、ガキのころから劇画の性描写に慣れきった私にとっては、物足りない以外の何物でもありませんでした。

*1:ちなみに、「カラー自然ガイド 鉱物」「鉱物採集フィールドガイド」をある日突然買ってきたのもおフクロでした。なんだかんだ言っておフクロの術にハマっているだけかもしれない。

*2:あの時、ウチにあったのが「原色世界衣服大図鑑」だったら、私はたぶん衣服のデザイナーになっていたことでしょう(んなわきゃあない)。