写真屋がプリントしなかった写真

一つ思い出したので、鉱山にまつわる腑に落ちない話を。


私は小学校のときから鉱物採集をしており、すでに小学5年の時には自転車で家から70キロ以上離れた足尾まで出向いていたという話は以前書いたと思います。
足尾は歴史の残る、私の好きな古い鉱山街で、その後、中学の時も何度か訪ねています。
確か中学2年ごろだったと思いますが、今度は足尾線に乗って足尾でブラブラしてました。
その頃は、自分で写真を撮るということが技術的にも小遣い的にもやっとできるようになり、フジカのレンズ交換できない一眼レフに安いカラーネガフィルムを詰めて、稼動している精錬所の写真を撮るのは楽しかったのです。
んで、精錬所まで来ればちょっと戻って、古河橋を渡って本山坑に行きますよね。
今は本山坑まわりの建物はだいぶ撤去されてしまいましたが、その頃は閉山時そのままに残っていて、詰所跡があり、建物の中は硝化綿の空箱とか、桐マイトの箱とか、火事場みたいにグッチャグッチャに転がっていました。
で、それを写真に収めたのです。


まだそのときは自家現像ができなかったので、近所の写真屋に現像とサービス判プリントをお願いしました。
写真屋に出来上がったネガとプリントを取りに行き、チェックしてみると、詰所の中のグチャグチャを撮影したプリントだけがプリントされていません。
オリジナルのネガには、透明度の高い、それに相当するのがあります。露光不足でした。
写真屋のおじさんに「なんでこれだけプリントしなかったの?」って聞いたら、「露出があってないから」という話だったんです。
そのときは、それで納得しました。


中学の3年から自分で白黒フィルムの現像液の調合が出来るようになり、その頃から白黒に移りました。
高校に上がり、ラッキーのおんぼろの引き伸ばし機を入手し、フェロタイプも貰ったので、自分で焼けるようになりました。
バイトをしてもらった給料で、印画紙を買い、失敗しながらもなんとか自由に焼けるようになったのです。
で、焼くのって楽しいじゃないですか。
家にあるネガで、気に入ったのを焼いて遊んでいたのです。
しばらくいろいろな写真(好きだった女の子の写真とかね)を焼いてたのですが、ある日、以前に撮ったカラーネガを思い出しました。
あ、あの写真、白黒印画紙で焼いてみよう、と。
押入れの簡易暗室で露光し、バットで現像定着しているときは気付かなかったのですが、乾燥させて見てみると、グチャグチャに物品が散乱した鉱山の詰所の写真の端に、なんかヘンなものが写ってます。
確かに二本の足が、膝下だけ写ってます。
脚絆巻いているのがわかります。
もちろん、撮影時、建物には誰もいなかったのです。
そんなものも確かなかったはずです。


そのとき、「ああ、写真屋がプリントを渡さなかったのは、このせいだったのかもな」と、あらためて合点しました。
その写真は、持っているべきではないものに思えたので、焼いた印画紙は捨てました。
ネガは捨てなかったのですが、しばらく自分の手の届かないところに封印しておいたら、なぜかいなくなりましたね。
あれほど自分の撮った写真を忌み嫌ったのは後にも先にも、あれだけでした。