今日のテーマ

臨月

臨月



私が中学2年のとき、半月ほど九州の山をうろついていたことがあります。
あの頃の私はたいへん沈み込みやすく、自分の存在を消したいと願っていたヘンな中学生でした。
自分のこと、他人のこと、対人関係のこと、将来のこと、いろいろ考えながら、九州山地の祖母傾山系の奥深くに入って、毎日数十キロのコースを歩いていました。深い山なんですよ。
あの時、ずっと頭の中にあったのは、この曲でした。
恋愛の深さを理解するのはまだまだ先の話ですが(もちろん私はまだ童貞でしたしね)。


で、家に帰って疲労困憊のために丸一日寝ていたのですが、起きてから荷物を片付けようとして、自分が半月背負っていたザックを担げないのには笑いました。
家を出るときは15Kgの荷物なんです。
ハンマーやガスバーナー、コッフェル、シュラフ、テント、食料を背負っています。カメラはフジの安いカメラにトライX。
毎日毎日、少しずつ鉱物を採集し、重量が少しずつ増えるんですが、変化が軽微なため、慣れてしまうのです。
ほら、忍者が麻の苗を毎日飛び越していると、麻の成長にあわせて跳躍力が増すって話があるじゃないですか。あれと同じ。
帰ったら、30kg強ぐらいまで増えてました。
これだけ重いと、アスファルトの上を歩くと靴底が減るらしく、玄関においてあった靴を見てオヤジがビビりました。
硬いビブラムソールの山が、新品をおろしたにもかかわらず半月で摩耗してしまったのでした。
「宅急便で送れよ」というツッコミは正当。


たぶん、そのころから、私は山猫なんですね。
人生を深く考えるのなら、山の中がいいです。ものすごく深い山が。道もないような。
人間というのはなんてちっぽけな生き物なんだろう、自分という存在がなんと頼りないものなんだろうと思えてきます。
そして、生きるという喜び。
あのころと違って、今は死ぬのがそれほど怖くないです。
でも、生きているってのはなかなか悪くない。
意識がある限り、いろいろ楽しめます。
山は、自分という存在の価値や意義を認識させてくれるのです。
たがみが「化石の記憶」で、「存在意義なんてのは無い」って書いていたのは正解。
それさえ知っていれば、また新しい一歩を歩み出すことができます。


ちっぽけだからこそ、いろいろあがけるのです。
ビバ!あがき!!


高校に上がると、今度はブルーズにどっぷり傾倒するようになります。
石好き、カメラ好き、放浪癖があって、ギター小僧でブルーズマンってのは、その時代に形成されたようです。



親愛なる者へ

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