霞を喰う人々
再掲。渡辺万次郎先生の「出宝次郎萬談 (deposit mandan)」より。
学者の頭は常に研究でいっぱいである。朝から晩までは言うに及ばず、夜中に覚めても心にかかり、道を歩いていても、学生と話していても、心は常にその方に引かれ、碌々新聞にも目を通さぬ。
大正初めの東北大学教授中には、そういう方が多かった。英国に留学中、日露戦争の開始を知らずにいた小川正孝先生や、自分の結婚式を忘れていて研究室から探し出されたと伝えられる本多光太郎先生は、それを否定もしなかった。
考えながら歩いていて、駆けて来た犬につき当たり、足を挫いた化学の真島利行教授もその1人である。或る日演壇で講義中、何やらむずむずしているかと思うと、洋服の背中からハンガーを取り出し、「ああこれか」といったまま、事もなげに講義を続けたときは、聴いている方があきれてしまった。(後略)
東北大は大昔から研究第一主義を通していて、家庭も生活も顧みずに研究に没頭する人が多い。