読了!

あいかわらず、渡辺万次郎先生の文章を読んでいる。
誰かさん流の表現をすれば「学者先生の書き物」だが、とても共感できる。
めったに使わないようなひねくれた表現もなく、簡潔で重みがあり、読み応えがある。


一月かかってやっと「思い出の記」を読んだ。
病床で自分の人生を思い出しながら綴ったのだろう。
さらっと読み流せる類の文章ではない。
入手の困難な本だが、時間をかけて読むだけの価値はある。


最後のページにこう書かれていた。
おそらく筆が思うように動かなかったのだろう。よれた字で

人生行路に道草を食って
 散々留年いたしましたが
今度は卒業出来そうです
 皆様!ありがとうございました

とある。
こうありたいものだ。


あまり重い話ばかり引用するのも嫌がられるので、「出宝次郎萬談 (deposit mandan)」から少し面白いネタを。

 学者の頭は常に研究でいっぱいである。朝から晩までは言うに及ばず、夜中に覚めても心にかかり、道を歩いていても、学生と話していても、心は常にその方に引かれ、碌々新聞にも目を通さぬ。
 大正初めの東北大学教授中には、そういう方が多かった。英国に留学中、日露戦争の開始を知らずにいた小川正孝先生や、自分の結婚式を忘れていて研究室から探し出されたと伝えられる本多光太郎先生は、それを否定もしなかった。
 考えながら歩いていて、駆けて来た犬につき当たり、足を挫いた化学の真島利行教授もその1人である。或る日演壇で講義中、何やらむずむずしているかと思うと、洋服の背中からハンガーを取り出し、「ああこれか」といったまま、事もなげに講義を続けたときは、聴いている方があきれてしまった。(後略)


オレはこの話は思い当たるふしが多すぎて、あまり笑えないんだけどね。
ビアスの「悪魔の辞典」に、専門家は専門のことには詳しいが、それ以外のことにはまったく疎い人間だというようなことが書かれていた記憶があるが、そんな感じ。
それでいいじゃん。
いや、ダメか。