仮説と実証

理系の研究者の頭が固いというある人の文を読む。
それは偏見。科学というものを知らなすぎ。
研究者にも、わからないことはいっぱいある。
というより、わからないことの数は研究者のほうがはるかに多い。
理論は、あくまでも自然現象を説明する作業仮説に過ぎない。
はるか昔から提案されてきた数多の作業仮説のうち、破綻しないものだけが淘汰されて残ってきているのが現在の状況。
もちろん、より優れた新たな仮説を見出せれば、それにすぐに乗り換えることも多い*1
それの積み重ねで相互に整合性が取れているようにみえる所までが、現時点で「わかっている」ということだ。


意固地に理屈を振り回しているんじゃなく、あなたの考える作業仮説は、説明のつかない事象が多すぎたり、実証できなかったりするので、それを受け入れる価値を見つけられないだけなんだ。
あなたの考えが意味のありそうなものだったら、誰だってその作業仮説を実証しようと考える。
でも、あなたの仮説は多すぎる。
今までの科学と考えが相容れないから否定してるんじゃない。あなたの仮説は実証できないんだよ。
その現象に対しては、仮説の立て方が難しいので、我々はとりあえず pending にしているんだ。
見て見ないふりをしているわけじゃない。


それが科学であり、それを議論するのが学術誌であり学会なんだよ。



トンデモ科学は、どうやらそんな姿勢で発生しているものらしい。
コンピュータを作り出す理工の作業仮説の集大成を享受しているくせに、それを全否定するような考えをコンピュータ上で垂れ流すってのは、ちょっと受け入れられない。
信用してないんなら、学術用語*2なんか使わないで欲しいね。
その状況をまさしく、「支離滅裂」って言うんじゃないかな。

*1:これができないのが「頭が固い」ということなのだろう。

*2:例えば、「活性化 (activation)」だってもともとは化学の学術用語だ。