朝から学生に英語を教える。
んが、教材の文章がとてもいいかげん。自分の仕事の話しかしてない。
最悪。
学生さんは「発音記号の読み方をまったく知らない」とか言ってるし。
オレの英語もひどいものだが、彼らのそれはオレをはるかに下回るなあ。


実験室の掃除を軽くする。
物品棚の整頓。
クーゲルの整備。


中国人ってのは、ホントに滅私奉公が大嫌いだよね。
これは文化の差なのだろうが、オレが実験室の整備をしていると「やらせてくれ」とオレの仕事をしようとするのに、オレがそこで部屋から出て行くと、とたんにその仕事をしなくなる*1
日本人は「どうせ誰かがしなければならないんだし、自分が片付ければ他の人は助かるだろうなあ」と想像して、ある区切りまで仕事を片付ける傾向がある。
たとえ仕事が嫌いな日本人でも、知りつつそれに手をつけなかったことについてすまなく思っている場合が多いようだ。
しかし、何人かの中国人を見ていた結果、かの国の人はそうは考えないらしい。
自分が仕事を逃げられる場合、ほとんどの場合は仕事をやらない。
必要に迫られて、やっと重い腰を上げるのだが、それでも自分の分だけを必要最低限で済ませるケースが多い。
しかし、自分より目上の人の前では、さも働いているようなふりをするんだよなあ。
そして洗い物がめちゃくちゃ汚い。これはマレーシア人、インド人も同じだったが。
これは明らかに思想・文化の差だろう。
中国の研究機関がどういうシステムになっているのか見てみたい。
うまく回っているのだろうか。
今度聞いてみよう。


昨日の実験をちょこっと観察。
クーゲルの稼動。いい感じ。
ダイアフラムポンプをもらいに行く。


修士の学生に、学部の学生の指導をやらせる。
教えている内容を聞いていると、教えている側の理解の深さがわかる。
よく知っているところ、間違って教えているところ、質問されてもはっきりとした理由がわからないので答えられないところ。
教えるということは大変難しい。
教える側がじっくりと教えられる側の理解を待てるようになるには、悟りが必要だ。


実験ノートを手渡して、ノートの書き方指導。
実験記録は実験科学者の命だから、こればかりは最低限の決まりを教える。
月日、実験手法を書き、測定した物理量、観察で得られた情報、結果の導出法を書く。これが最低ライン。
ところが、人によって記述法がかなり異なる。
某教授*21:左側に実験計画のフローチャートを縦書き。右ページは実際の実験結果。
某教授2:右も左もなく、フローチャートは横書き。情報量は少ない。
某教授3:実験操作を文章書き(英語)。これは本人以外には大変読みづらい。
オレ:右も左もなく、フローチャートは縦書き。実験時にその場で書く。
どの記述法で書くかは実験者にお任せだが、最低ラインを漏れなく書き込んであり、実験記録として証拠になること、他の人がノートを読んで追試可能であることが条件かな。
修正液が使用不可で二重線で消すとか、メモ用紙を使わないとかは当たり前。
学生間で実験ノートのチェックを互いにさせるのがいいかも。


学生さんと飯を食べに行く。
いろいろな教授の評判を聞く。おもろい。
そういう風に見えているのか。
目から鱗がポロポロ。


ヒビの入った100mlナスフラスコ5つをアルカリ、次いでフッ酸洗浄。
バーナーワークでヒビを直す。
一個は吹き加減を間違えて、ジャガイモ型フラスコになっちゃった orz
残りはまあまあ良くできたかな。
でかいバーナーが欲しい。


中国人ぽすどくの家に、ガス台とテーブルと洗濯機を届けに行く。
おもーい。
砂利の駐車場で、猫が二匹丸くなって話していた。
何を話しているんだろう?
荷物を持って真横を通ると、逃げるわけでもなく、ぐるりと首を回してこちらをずっと凝視していた。

*1:オレはこのような傾向を裏表ととらえ、正直嫌いなのだが、こういう感情も日本独自の考え方なんだろうか。

*2:教授がまだ実験をしていた頃の実験ノート。以下同様。