仁義好かん

研究の先取性(プライオリティ)に対してはそれなりの仁義があるのですが、それ以外は仁義なんて何一つありませんよ。
もちろん、分野を開拓された先生に対しては、後進の立場からは最大限の感謝を払わなければなりません。
ですが、学問の世界は別。
どんなにお偉い先生の発言でも論文でも、俎上に上がり十二分に吟味され、受け入れ可能な程度に立証されていれば誰もが認めますし、そうでなければ捨てられます。
立場はまったく関係ありません。教授でも学生でも同じことです。
その過程で作業仮説が皆に認知され、仮説と知りつつも「条件付き立証済み」として次の仮説の礎となります。
それが科学である条件です。
この考えをベースにおよその自然科学者は動いており、それを自然科学以外の社会活動に誤用してしまうことがしばしばあって、そのためか「世間知らず」「口が悪い」「子供っぽい」と揶揄されることも。
職業病のようなものでしょう。
これは特に若くて精力的な研究者に顕著な傾向です。
科学における政治や派閥・学閥を嫌い、科学の自浄作用だけで学問が成り立っていると考えるケツの青いヒヨッコ的挙動です。
しかし、これは大変健康的なものです。若さに基づいた一番大事な財産です。


逆に、一般の方でも科学の世界に足を踏み込んだら、そのような考えに立てない人は「空気が読めない」と言われても仕方が無いのですよ。
発言権はあるけど発言しない、という状態です。
誰にでも発言権はあります。故に、誰でも自説をひっくり返されてしまう可能性があります。
もちろん、基礎や当該研究に対する知識が無ければ発言できませんよ。
みんな忙しいので、トンチンカンな発言が飛び出してきたら「過去の研究をまず理解してから出直してきてね」とやんわり門前払いされてしまうでしょう。
新参者は「まず空気を読み、研究背景を把握してからしゃべれよ」、というルールがあります。
研究背景を研究者にやさしく教えてもらえるはずが無いでしょ。
もし、教えてもらえたら、それはすごくラッキーなことです。いつもそれが当然なわけないです。


こうやって科学というものは発展してきたのです。