ライツレンズってのは、ホントに不思議な写りをしますね。
これ、カールツァイスだったら、こんな解像力に乏しいレンズは上市しないと思うんですけど。
長焦点フォタールってのはなんとも評価の難しいレンズでした*1
階調の豊かさや解像感だけではない、別の評価軸が必要なのでしょうね。
球面収差を原因としたボケの味だけでもなさそう。


そうか、これがレンズの味なのか、と。


私はそういう評価軸は苦手です。
定性および定量化できないんですもの。
詩的な評価は客観的ではありません。定量的に記述することができません。
とはいえ、好んで使うことになるんですよね。
特別扱いするわけじゃないのですが。


音楽や楽器もそうです。
結局、耳に入るのは疎密波の重ね合わせでしかないのです。例外なし。
しかし、ある重ね合わせとパターンは人を感動させ、あるパターンは人を不快にさせます。
楽器なんて周波数特性と減衰特性とプレイアビリティしかありえないんですが、それでも人の心を揺さぶる楽器は存在します。
そこには定性および定量化できない「なにか」があります。
それは至極当然なことで、検出器が「人間」だからなんですけど。


そのウェットな部分を表現するパラメータを導入し、それを評価し、それを再現する技術があれば、よりすばらしい楽器やカメラレンズを職人の技を頼らずに設計製作することが可能になるでしょう。


(資料)ライカカタログ1967
http://www.flickr.com/photos/wigwam/sets/72157608800502436/

*1:しかし、短焦点のフォタールはまた違います。短焦点では収差を意図して残したらネボけたレンズで使い物になりませんから。