偶感

科学というのは観察を重んじる学問であり、多くの serendipitous discovery は、観察によって得られた視覚的情報を思考処理し、それが既存の理論体系と合致しなかった際によく煮詰め煎じて解釈することによって見出される。
しかし、研究の効率を追及して同時に多くの実験を行う場合、観察によって得られる情報は激減する傾向がある。
二つの実験を同時進行で行うと、観察によって得られる知見は二分の一よりはるかに少なくなる。
これは、観察と同時に実験者が思考し、多くの仮説を立て検証作業を行っているためであろう。
観察による新規知見を重んじるなら並列多数の実験研究を行うべきではない。
特に、観察の大切さを理解していない学生さんは。
また、並列多数の実験を行うと観察レベルが低下し、保安面からも危険度が増す。


しかし、これでは実験ペースが上がらず、効率が下がる。
そこで、観察検討をどの程度まで行うかどうかについての差別化が個々の実験に対して必要となる。
多くの人によって検討されている「手垢の付いた」系ならさっくりと、初めて自分がするような新規系ならじっくりと観察するのがよい。
しかし、本当にそれでよいものだろうか?
実験に貴賎なし。
多くの人が行っている実験は、もう突付いても旨みは何も出てこないのだろうか。
否。そんなことはない。
しかしそこから新規知見を見い出す確率は、当然の如く低くはなっているだろう。


大事なのは自分の中での理論の体系化。粘り強い根性。
そしてじっくりと人の論文をこまめに読み、勉強すること。
それが用意されてから、serendipitous な現象にはじめて気付く。
そうでない場合は研究者がただ横を通り過ぎてしまうだけ。
オイシイネタが転がっているにもかかわらず。