必殺仕分け人2

では、敬愛する渡辺万次郎先生の、鉱物と人生(昭和27年)の一文を再度引用します。

限りない宇宙の神秘を、限りある今の科学で予見することは
困難である。ただ限りある現在の科学を、あらゆる方向に押し進める
ことによってのみ、そのいずれかが無限の世界に連なるのである。
雲に隠れた群山のうち、勝手に一つの峯を予定し、すべての人を
これに向わせんとする努力は、高嶺を極める道ではない。科学者たちが
その信念と天分に応じて、思い思いの荊(いばら)の道をすすんでこそ、
そのあるものが遠い高嶺に連なる道を自分も知らずに選ぶのである。
その選択を御先の真暗な、さもないまでも10年先の見通しは困難な
国策や、政治家などに断じて委ぬべきではない。
 さればといって先の見通しの容易ではない研究には、政府も
資本家も喜んで金は出さぬ。僅か2年か3年先の見通しに適った研究
だけが、時を得顔に推進される。これではいつの代になっても、
積木細工を弄ぶようで、大建築の土台はできない。けれどもそれを
本当に知るのは、恐らく学徒だけであり、苦しい中にも彼らは自分の
信念の下に、天分に応じて進むのである。世間がそれを認めまいと、
資本家の援助が無かろうと、ただ一筋に進むところに彼らの真の生命がある。
国策におもねり、資本家にへつらうのは、真に国家のためでもなければ
人類の幸福のためでもない。


あえて泥水を啜りましょう。
しかし、あとで「日本の科学の質が落ちた」って文句言わないで。
科学技術上のブレイクスルーは、常人の考える「無駄」から出てきていることが多いですからね。