あるところで、「科学者は世の中のすべてのことを知っているような顔をしているが、科学者の知っていることはせいぜい数パーセントであり、それ以外はまったくわかっていない」みたいな趣旨の文を読みました。
書いてるのは、わりと有名な方なのです。
森羅万象の理(ことわり)を読み解き、その根底に流れる普遍的な摂理や法則を拾い集め、自然からスタートして自然を超えるのが自然科学者の研究の命題です。
自然を超えてしまえば、わかっていないことは青天井なんです。行き着く先はわかりません。
つまり、母集団の研究モチーフはほぼ無尽蔵にあるので、「科学者の知っていることはせいぜい数パーセント」ってのはおかしいです。
むしろ、職業科学者の方が、知らないことは多いです。
私の研究背景は化学にあります。分子設計と合成がメインです。
紙の上には自分の好き勝手な分子を書くことができます。


世の中には、まだわかっていないことが山のようにあります。
前人未到」ってよく言いますが、そんなものは当たり前。
誰もやっていない、研究の及んでいないテーマはいくらでも存在します。
ただし、研究するのに充分な価値を有する、という視点は重要です。
都内に生えている桜の木の数を数えた人はおそらくいないでしょう。
前人未到の」研究であり、誰もそれに手をつけてはいません。
でも、よく考えてください。その研究テーマに、数十年かけて研究するべき価値がありますか?
自然科学の流れを一本の大樹と比喩するとき、研究テーマの設定は、枝葉の先ではなく、より多くの枝葉を付ける可能性の高い太い枝、願わくば幹に志向するべきなのです。
「誰もやっていないからやる」というのは、研究のモチーフとしては貧弱すぎます。


こういう背景から、およその科学者って、わりと謙虚です。
特に、能力の高い人は、びっくりするほど腰が低いことが多いですね。