間瀬銅山の紫水晶

日本における伝説の紫水晶の一つ。間瀬銅山の紫水晶
淡い色の紫水晶が、立派な黄銅鉱の結晶の上に花咲く。
銅鉱脈中の晶洞に晶出したものだろう。
この標本を見たときはびっくりした。まだ現存するのか、と。
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新潟県新潟市西蒲区間瀬 間瀬鉱山
東京大学総合研究博物館蔵(登録番号 40274)
標本幅: 11.2 cm
Nikon Zoom Micro Nikkor 70-180mm/Nikon D3
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間瀬銅山は、有名な間瀬の沸石産地のそばにかつてあった、熱水性の銅鉱脈を狙って掘った銅鉱山。
最盛期は明治末期で、草倉と並ぶ古典中の古典産地。
明治期の東京帝国大学の収蔵品を網羅した「日本礦物標品目録」にここの紫水晶が記述されていると、N氏の調べにはある。
どうもこの標本は明治30年代にでてきたものらしい。
間瀬の銅山跡は、オレも狙ったのだけれど、ついぞ見つけることはできなかった。
どうやら、紫水晶は富鉱帯のど真ん中、当時風に言うと「大直利」のガマにのみ付いて来たらしい。
そりゃ見つからないわけだ。
このタイプの熱水性銅鉱脈は、ホントにいいところにだけ、紫水晶がくるんだよね。
黄鉄鉱だらけのところには、無色の水晶しか出てこない。
そして、ダイナマイトを多用すると、バラバラと黄銅鉱がはずれ落ちてしまう。
黄銅鉱結晶は、見かけよりよほど脆く、そしてちょこっとだけくっついているものだ。


おそらくこの標本は明治末の鉱山最盛期に産出し、鉱夫の手から関係者の手へ、そして東京帝国大学の和田維四郎教授の下に届けられた。
そのころは黄銅鉱も萌よ萌よ*1の黄金色で、淡い紫水晶がアクセントとなっていたのだろう。
和田教授も、このコントラストの美しさに感嘆したに違いない。


110年後の今、標本は静かにキャビネットに眠っている。


chalcopyrite
↑別のところで拾ってきた黄銅鉱。

*1:黄銅鉱のヌメッと光る黄金の光沢は「萌よ」と表現するのが正しい。(参考文献)松田解子「おりん口伝」