家業を継ぐのを拒否した人が言うことではないんだが
最近になって、特に技能の優れた職人さんの引退の話を多く聞く。
後継者がいない職人は多く、引退は同時に店をたたむことを意味する。
ほとんどの職人は、自分の技術にかけてはそれなりに誇りを持っているものの、それを自分から進んで他人に教えたり、あるいは後継者に技を叩き込もうとは考えない。
職人芸(名人芸)というのが教わっただけではできるものではないということは、本人が最もよく知っているからなのだろうか。
それを身につけたいと考える志望者のみに対して、彼らは渋々教えるだけだ。
また、最近の労働条件の改善と職人芸の体得に要する時間が整合していない理由もあり、後継者への職人芸の引き継ぎというのは円滑には進んでいない。
8時間労働、完全週休二日制では体得が難しいのかもしれない。
職人芸を極めるのはそれほど簡単ではない。
オレがガキの頃、ウチの工場(こうば)には何人もの希望者が技術を学びにきていたが、そう簡単には行かないのは子供の目からでもわかった。
根気と、それに資質が必要なのだろう。
加えてたいへん厳しい指導。
途中で挫折するのは昔でも当たり前だった。
技術を極めると、ほとんどの場合は名人芸に近くなってしまう。
例えば、キログラム原器の6番と13番が筑波の計量研*1にあり、数十年に一度、副原器との再校正を行うのだが、このときに用いる天秤ばかりは京都のある秤屋の職人が作ったものだ。
彼以外の人の天秤は、精度が一桁違うらしい。
彼以外にはその精度が出せないのだそうだ。
彼が仕事を引退したのち、天秤が壊れたら校正の精度が下がるのは明らかだろう。
本当は職人芸だけではいけないのは誰でもわかっている。そんな不確かなものを定常的に求めるのは無理がある。
品質管理もへったくれもないのだから*2。
製品の許容誤差や精度は、三角法による図面に記述できなければならない。
しかし、最高レベルの技術が要求される分野では、例え図面に書いてあることでも、実現できない。
そこにいちばん近づけるのが、職人さんということになる。
マニュアル化ができないのが名人芸。
伝承するものがいなかったために、消えてしまった技術も少なくない。
先のオヤジの話をすれば、彼が言うには、「昔の図に残っている組子細工で、今、誰も作れないものはいっぱいある」らしい。
腕に自慢の彼でももちろん作れない。
組子を入れた障子など一般家庭で見ることは少なくなった現在、あと30年もしない間に、組子のかなりの技術が消滅することは想像に難く無い。
職人さんは、技術が要求される分野に、伝えることのできるものと、技術を本気で習得するつもりがあるものが共存するところにだけ発生する、時間をかけて育つ美しい大輪の花のようなものだ。
職人芸だけ利用しようと考えてはいけない。
芸は職人とセットでついてくる。
日本の職人さんは、これからどうなっちゃうんでしょうね。
どうやったら、職人芸を絶やさずに次世代に継続的に継承できるんでしょうね。
それとも、もう職人芸は必要とされてないのかな。