オレが家業を継がなかったわけ

オレの本家は、オヤジもジイさんも建具職人だった。
仕事場はジイさんとその仲間が興し、それをオヤジとおじさんたちが継いでいた。
たまに皇室に関連する建築物に建具を納入するのを、みんな大変誇りに感じていた。
仕事場はお世辞にもきれいとは言えなかった。
というより働くには劣悪すぎる環境。
微細な木屑が黄砂のようにいつも空中を舞い、風もないのにいつまでも仕事場にヒュームが漂い、窓から差し込む光の筋がキラキラ見える。
呼吸すれば肺に溜まるのは誰が考えてもわかる*1
塗装が早く乾くのと、埃が舞うのを嫌うため、どんな夏の暑い日でも塗装場はいつも閉め切っている。
通気がないので塗料中の溶剤が蒸発し、ひどく有機溶剤くさい。頭がズキズキするぐらい。
化学の実験室などはこの環境に比べれば子供だましだ。
そのぐらいひどかった。


オレは、そんなところで、様々な大きさの木屑を積み木にし、釘で組み立て、塗料を塗ったり鋸で切ったりして遊ぶ子供だった。
様々な種類の木材があり、和紙や障子紙があり、電動工具も道具もあった。
そこで、オレは、オヤジやおじさんたちや他の職人さんに接し、ガキのころから職人気質をいやというほど味わされた。


学もなく、大儲けもなく、ソロバン勘定もできない。
すすんで人に自分の製品を売り込もうともしない。
三角関数すら知らない(未だに尺貫法なんだぞ)。
原価計算も工賃も計算できない。
情だけで製品の値段を付けてしまい、すぐに赤字が出る。
その製品を作るのに職人がどれだけ苦労したのか、どれだけ時間を割いたのかという対価を請求することができない。
でも、自分の技能にはプライドがありすぎるぐらいあり、プライドが邪魔して最近の技術を身につけることができない。
正論を指摘しても、「理屈ではものはできない」とすぐに殴られる。


そんな職人気質にはほとほとウンザリだった。
オレには、もっときちんとした基盤の上に立つ思考や手法の方がよかった。
職人のやり方は、正直、オレにはついていけなかった。


そして、オレはオヤジの仕事を継がなかった。
オヤジも継がせるつもりは無かったらしい。


仕事場は、最近、借金のかたに取られた。


いまでもオヤジの仕事を継がなかったのは後悔していないが、最近はつくづく「自分は職人の息子なんだなあ」と思い知らされることが多い。
自分だけの技術を身につけようと躍起になり、理屈よりも技能を大事にしようと考えるスタイルは、職人そのものだ。科学者ではない*2


オレは、科学職人になるんだ。それでいいじゃないか。


だから、「オレに出世を求めてもダメだぞ」とカミさんに言うのだが、彼女は首を縦に振らない。まあ、当たり前の話なんだけどさ。

*1:そのせいか、オヤジはひどい喘息持ちだ

*2:自分は意識してないんだけど、追試の難しい実験になっちゃうんだよね。職人芸というほどではないんだけど、結晶を顕微鏡の下で目で見て分離するのは若い人にとっては堪え難い苦痛らしい。研究を後継する人はお気の毒様。