観察しようとする行為が大切
で、シリンジの針の話のついでに書いてしまうが、こういう身近の技術話は一般にはあまりウケない。
しかも、学究の徒にもウケない。これは悲しいことだ。
工学は異分野だからということなのかもしれない。
こういう話をしても、「じゃあとりあえず観察してみよう」とルーペでテルモ針を覗く人は少ない。テルモ針なんかいっぱいあるのに。
研究者の余裕が少ないのか、好奇心が少ないのか。
で、好奇心が強く、実際に観察するタイプの人は、洞察力に優れたいい仕事をする。
何人かそういう人を知っている。
前にどこかで書いたが、こういう話がある。
ある小学校の理科の授業で、教師が以下のような質問を生徒に出した。
「ここに浮き輪があります。どこかに小さな穴があいているようで、ほっておくと空気が抜けてしまいます。どうしたら空気の抜けている場所がわかりますか?」
で、多くの生徒は「せっけん水を塗ると泡が出るのでわかる」「水に沈めると小さな泡が出るところがそうだ」という回答をする。
ところが、ある生徒は「浮き輪をよく見る」という回答を出し、これは正解とみなされなかった。
この話が実際のやりとりに基づくのかどうかはオレにはわからない。が、ありそうな話だ。
本当は、まず「よく見る」ことが大事じゃないのか。
じっと、隅から隅まで。舐めるように。穴が開くほど(穴が開いちゃまずいか)。
細かい操作で確認するのは、それからの話だ。
それとも、そんなところまで「効率」って言いたいのか。
様々な測定機器が発達したおかげで、目には見えないさまざまなものも認識でき、データが取れるようになり、分析の手法も多様化し、人間の五感ではまったく相手のできないシグナルを拾えるようになった。
そのおかげで、科学はものすごく進歩した。
が、残念なことに、それにふりまわされるあまり、目で観察することがたいへんおろそかになってしまっている*1。
科学を本業でやっている人でも、観察をおっくうがる人がいる。
「そんなに観察という作業は苦痛ですか?」とたまに言いたくなることがある。
まずは観察で、データをできうる限り集めるところからはじめて欲しい。
機器の使用は、それからの話でしょうに。