植村直己と山で一泊(小学館文庫)

玄関に「もう一回読むべき本」が山になって積んであり、時間があるとちょこっとずつ読み直してます。
そのうちの一つ。
ビーパルの編集部が、植村氏とキャンプしたときのインタビューです。

植村直己と山で一泊―登山靴を脱いだ冒険家、最後の世間話 (小学館文庫)

植村直己と山で一泊―登山靴を脱いだ冒険家、最後の世間話 (小学館文庫)

彼はこの後すぐマッキンリーから帰らぬ人となりました。

ただ怖いのはね、助かろう助かろうと焦って、とことんまで歩いて、体力を使い切ってしまうことです。
冷静に生きのびることを考えず、どこかに辿り着こうと思って、とにかくどんどん行ってしまう。
そして力尽きる。それが怖いですね。
どんなときでも、状況が厳しければ厳しいほど、体力を使い切らないで、少しでも余力を残すのが大事だと思うんです。
そうすれば状況を判断する余裕も生まれますし、生きのびる工夫をいろいろやってみることができるわけです。


行動しているうちに、厳しい状況に行き当たることがありますね。
進むか退くか、休んで様子を見るか、その判断が非常に重要だと思うんですが、正しい判断をするためには、余力がどうしてもなくちゃいけません


だから、体力の五〇パーセントか六〇パーセントのところで、行動はやめておかなくちゃならないと思うんです。
それは、北極のような場所でも、日本の低山ハイキングでも同じくそうしたほうがいいと思います。
それを超えてやりすぎてしまうと、判断力も体力もどこか狂ってきて、いろいろ思わぬことが起こってくる。


ふむふむ。そのとおりです。含蓄のある言葉です。
忘れられがちなんですが、ベストの判断を下すには、心にゆとりがないとダメです。
訓練で、ある程度の精神的なプレッシャー下でも判断ができるようになります。


キビヤックの話が面白いです。ここに書いてあったか。

グリーンランドの北部に、アパリアスという鳥が春先になると渡ってきます。
黒と白の、ぼってりとした感じの水鳥で、ハトよりは小さい。
僕の住んでいたシオラパルクあたりの海岸に、産卵のために何万羽、何十万羽とやってくるんですが、散弾銃でズドンとやると、十羽ぐらいがバラバラッて落ちてきます。
エスキモーの人たちは、銃なんかあまり使わないで、四メートルぐらいの長い竿の先にタモ網をくっつけて、それを空中で振ると、何羽かが網の中に飛び込んでくるんです。
蝶をとるような感じですね。


石油コンロで火をおこして海水を沸かし、穫ったアパリアスを放り込んで水炊きにします。
煮えたら毛をむしってそのまま食べるんですが、これもなかなかうまい。
けれども、もっとうまいアパリアスの食べ方があるんです。
これは、アパリアスを保存食にしたもので、キビヤックというんです。


アザラシを一頭用意して、肉と内蔵を全部抜いて、皮下脂肪だけ残しておくんです。
そしてその中に、今の穫りたてのアパリアスを羽根のついたまま詰め込んで、裂いたお腹の皮を縫ってしまいます。


アパリアスが来るのが五、六月、グリーンランドの春ですね。
それで、キビヤックを食べるのは、夏が過ぎてだから、やはり三ヶ月以上経ってからですね。
海岸で鳥を穫って、アザラシの皮の中に入れて、その場所にそのまま置いとくんです。
キツネなんかがいっぱいいるから、そいつらにやられないように、大きな岩なんかをアザラシの上に置いておくんですが。
そうしますと夏場に気温が上がって、皮下脂肪が溶けて、それが鳥の中に浸透していくんでしょうね。
そういうのをできるだけたくさん作っておくわけです。


秋頃からポツポツと、客が来たとかお祝い事があるとかいうときに食べるんですが、翌年の五月まで、一年間はもたせるようにします。
エスキモーの人たちにとっても大変な御馳走だし、実際にすごくうまいんです。


解凍して、毛をむしると、簡単にとれます。
あとは、骨を除けばもうみんな食べられます。
まず、皮がすごくうまいんですね。
さらに、内臓がドロドロになっていてもっとうまいです。
キビヤックを両手で持って、肛門を口につけて吸うんです。
むろん匂いはきつくて、キビヤックに一度さわると、石鹸で洗っても二、三日は匂いがとれないくらいなんですが、まあ、そんなこと気にしてられないぐらいの美味です。


はじめは、エスキモーの若い娘なんかが、キビヤックを食べて口のまわりに真っ黒になった血なんかをつけているのを見て、ほんとに驚きました。
だけどおっかなびっくり自分でも食べてみて、それがだんだんうまいと感じるようになると、もうキビヤックのトリコですよ。


キビヤックの話題はもう一つあり、北極圏犬ゾリ単独行のときのキビヤックデポジット盗難事件の話なんですが、クイモノに執着しない植村氏がこのときはメチャクチャこだわって「犯人をつきとめてください」という無線連絡をベースキャンプに入れてくるというものです。
彼はよほどキビヤックが好きだったのでしょう。
ニコン謹製、羊の皮でできたカメラ (Nikon F2) ケースなんてのも写真入りで出てきます。


気になる方は買って読んでみてください。


インタビューだからというのもあるんですが、彼の文章は、例えば「青春を山に賭けて」でもそうでしたが、大変朴訥で飾りがありません。
しかし、経験と試行錯誤に裏打ちされた重みがあり、一言たりとも無駄にできない宝玉のような内容で、重量感があります。
堀江氏もそんな男ですよね。


本当に大事な知恵や知識、経験というものは、とても簡素で贅肉の一つもない表現でも、充分に伝えることが可能なはず。
簡単な表現でたいせつなことを余すところなく記述するというのは、とても大事なことです。
そのような文が、彼の誠実さによく整合しています。