中小坂鉄山

下仁田の町はずれに中小坂という小さな集落があります。
鏑川上流、平地もあまりない川沿いの山間ですが、実はここに明治9-11年ぐらいに、日本で最新鋭・最高生産量の製鉄所と鉄鉱山がありました。
とはいえ、製鉄所・製銑施設も取り払われ、当時の面影をしのぶものはほとんどありません。
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いたるところに古い石垣が残ってます。沢の中も。
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杉の植林の中を入っていきます。
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鉄鉱山の坑道の跡が残っています。
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鉱物としては磁鉄鉱花崗岩と堆積岩のコンタクト近くに入り込んだ熱水性磁鉄鉱脈で、平均脈幅50cm、最大脈幅5m余、延長200mと言われています。
柵があるんですが、坑道内が覗けます。かなりキレイに掘ってありますね。
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沢の中にも、品位の高い磁鉄鉱塊(ほぼ純粋に近い)が転がり落ちています。
非常に重く、ずしりと手に感じます。真っ黒ですが、割るとクロガネ色に輝いています。
砂鉄と同じで、フェライトです。磁石をくっつけるとピタピタくっつきますね。
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磁鉄鉱は赤鉄鉱より製鉄が難しく、ここの磁鉄鉱を用いた製鉄の試みは江戸時代から行われていました。
水戸藩那珂湊に作った反射炉を使って製鉄精錬を試みたらしいのですが、これはうまく行かなかったようです。
ここの鉱石はものすごくマッシブですから。
で、明治1桁年代に由利公正*1が、イギリスから精錬設備を一切合切輸入し、技師もスウェーデンとイギリスから連れてきて、ここに製鉄設備を作りました。
鉱山から磁鉄鉱を掘り、ここは異常に品位が高いので選鉱はほとんどせずに、ブレーキクラッシャーで割り、軽く焙焼して木炭高炉に放り込んだようです。送風は蒸気機関を使いました。
で、銑鋼を取り出し、鋳造鍛造までできたらしいのです。
これは、日本におけるはじめてのシステム的な近代製鋼だったようです。
ただし、写真が一枚も残ってません。無念。
下仁田は山林が多いので、木炭はこのへんの炭焼きで賄えます。石灰石は町の南の青倉のものがあります。
最盛期で月産170t程度の規模ですが、これは同時期の輸入銑鉄とほぼ同じ量に相当します。


こんな栄えた鉄鉱山+製鉄所でしたが、明治10年代に終焉を迎えます。鉱脈の枯渇だそうです。
大正期には、設備はすべて撤去転用されたそうです。
きっと往時は、立派な製鉄用高炉が立っていたんでしょうね。
↓こんな感じの(写真は韮山反射炉です。参考写真)
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*1:ゆりきみまさ、五箇条の御誓文の草案を書いた人