日本の結晶学のはしり

さて、じゃあX線結晶学以前はどうなっているのかというと、やはり鉱物学にたどり着く。
「雲根志」(木内石亭、1773-1801)は、残念ながら愛玩品としての蒐集品の意味合いが強く、学問ではなかった。
C. S. Weiss (1808), J. F. C. Hessel (1830), A. Gadolin (1867) の晶系、晶族に対する存在の証明を日本に持ち込んだのは K. Schenck で、東京開成学校での結晶の形態についての講義 (1873) がその始まりらしい。
つまり、結晶学は、ドイツ経由で日本に持ち込まれたということになる。
これを聴講したのが和田維四郎で、東京帝国大学で教鞭を取り始めて、晶系による結晶分類の試みを「金石識別表」に記述した (1877)。
晶族による系統的な結晶の分類は、小藤文次郎による「鉱物学初歩」(1885) が最初のようだ。
その後、大正期まで、和田、福地、片山などの鉱物学者が中心となって興した「日本の結晶学」が発展した。
測角を基本とした結晶形態の研究は、和田の「日本鉱物誌」がとりあえずの中間発表となっており、この本における様々な疑問点を消化する形で、学問の畑を広げていった。


資料を遡っていくと、櫻井欽一氏の家で開かれた「鉱物会」の写真に行き当たった。
昭和10年頃の写真で、石井、中本、片山、櫻井、滝本、若林、伊藤、保科正昭、貴志、杉、牧野のそうそうたるメンツである。


日本の結晶形態学のルーツはこの辺りらしい。


余談だが、ここに出てきた論文、成書、関連書籍(伊藤「本邦鉱物之形態的研究」など)のオリジナルすべて(!)を、手に取って読むことができた。感激!!