「日本の有機化学の開拓者 眞島利行」久保田 尚志(私家版)

表題本を著者のご遺族のご好意によりいただきました。
たいへんありがたく頂戴いたします。
眞島利行が「日本の有機化学の父」であることは疑いを挟む余地がありません。
卓越した実験技術と指導力で日本の有機化学のレベルを引き上げた立役者です。
その研究哲学は、様々なところで引き継がれています。
例えば、私が初めて有機化学の研究室に配属されたとき、「安価に市販されている有機試薬でも、合成可能なものは自分で合成するべきだ」という教育を受けました*1
これは、後になって考えてみると、眞島研の1910−1930年代の研究姿勢が世代を超えて引き継がれ、自分の所までまわってきたもののようです。


私は、眞島利行本人の卓越した実験技術は、トリカブトアルカロイドの単離が最頂点であると考えます*2
トリカブトからの抽出物から、クロマトを使わずに数種のアルカロイドを塩の再結晶のみで分離しています。塩も5種の酸塩を試行して結晶性を変え、それらの溶媒に対する溶解性の差だけで分けているのです。
これは、並の技術ではありません。
しかも植物毒です。
今考えると、アコニチンの毒性はびっくりするほどは高くありませんが、それでも LD50 が 0.5 mg/kg 以下の猛毒です。
隣の実験台の黒田チカ*3も、くしゃみが止まらず逃げ出したという逸話もあります。
ちなみに、黒田チカが眞島研に所属になり、一週間でムラサキの色素成分の単離結晶化に成功したという伝説がありますが、これは誤りで、一週間で結晶化させたのは眞島利行であり、結晶化に成功したところからの研究スタートであったと後に黒田自身も述べています。


なんで師事されていない私に彼らの技術がわかるのかという種明かしをしますと、彼らの単離再結晶した多種の一連の物質を預かったことがあるのです。



大正時代のサンプルですが、きっちりラベルされ、整理されていました。
きれいな結晶で、しかも結晶の粒が見事にそろっている、いわゆる「腕のよい」再結晶。



↑量の少ない(とはいっても、100 mg はありますので天然物なら「大量」ですが)アルカロイドをコンスタントに 1.5 mm 程度のサイズの結晶に仕上げられますか?普通。


自分でも不純なものを何度となく再結晶してみましたが、彼らほどの質の結晶が出せませんでした。
私も、再結晶に関してはそれなりに自信がありますが、クロマトが最後の武器として使える現代の化学者と、再結晶だけが精製の手段である当時の化学者では、技術が違って当然です。
やはりかなわない。これは、認めたくはありませんが事実のようです。


いずれの分野でも、偉い先生の名人芸ってのは凄いです。


それと、この本を読んで初めて知ったのですが、眞島利行ははじめは鉱物学を志そうとしたそうです。また、助手時代に佐渡の銀鉱物の研究も少ししていたとの記述もあります。
残念ながら、現在は(化学側から見て)鉱物学と化学は離溶してしまいました。
例えば、これはこの間実際にあった話ですが、モリブデンを中心に扱っている化学者ですら、輝水鉛鉱を見たことも無ければ、名前も知らないといった状況になりつつあります。
元素や代表的な無機化合物は、試薬ビンに入って供給されるものであり、ビンに入る前のことを知らなくても研究はできますから。


鉱物学者が化学を忘れるということは無いでしょうが、鉱物学から見た化学はほんの片鱗です。
鉱物の分析はほぼすべてが物理的な手法に基づいていますし。


研究の効率から考えれば、専門の人が専門のことをやり、互いに分野間でやり取りするのがいちばんいいのは確かなのです。
ガラス細工はガラス細工のテクニシャンにまかせ、実験者がガラス細工に対して全く無知でも、何の問題もありません*4
でも、教授が実験に没頭でき、リービッヒやフラスコまで自分でガラス細工でこさえた眞島利行の時代が、ちょっとうらやましくもあるんですよ。
「苦労を知らないからそんなことが言えるのだ」と、叱咤されそうですがね。

*1:この教育が、この5年間の「効率第一主義」化で変更を余儀なくされたのは悲しいことです

*2:トリカブトの中から植物塩基を抽出し、Japaconitine と呼ばれる混合物(当時は、純粋なものと考えられていた)を丹念に分離したところ、数種のトリカブトアルカロイドが単離できたという論文は Berichte などに、いくつかの論文になっています。大戦のために研究の中断を余儀なくされています。

*3:くろだ ちか。日本で初めての女子帝大生の一人であり、二番目の女子博士号授与者。眞島利行の門下で、紫根から得られる色素の研究を行った。

*4:キャピラリすら引けない学生さんがいるのにはびっくりでした。