古河橋



写真は古河橋。日本最古の道路用の鉄橋。
日光市足尾町赤倉から精錬所横の渡良瀬川を渡る橋。
明治23年(1890年)竣工。ただし材料と技術は Made in Germany。
橋を渡ると、本山坑(有木坑)を経由して舟石峠を越えて銀山平に抜けます。
右側は精錬所の建物。
「このはしわたるべからず」とあったので、真ん中を歩いてみました(うそ)。



昭和50年の空中写真では、橋の影が見えます。
矢印の先がちょうど赤倉のロータリー、その横が古河橋の影です。
北の大きな建物の集合は精錬所、写真のずっと左は鉱夫の住宅です。


この時代は溶接技術*1が未熟で、ボルト*2の精度も悪く、せん断強度も足りないので、橋はリベット打ちです。
リベットと呼ばれる鉄の釘を加熱し、これを接合部の貫通孔を通し、まだ熱いうちに叩いてかしめるのです。
で、実際には足場のよい部分でコークスをガンガン焚き、この中でリベットを赤熱するまで(千度ちょっとぐらい)熱します。
これを火バサミで挟んで取り出し、放り投げます。
これを竹篭でキャッチし、冷えないうちにかしめるんだそうです。
この橋なら中継要員が二人必要でしょう。
コークスからリベットを出して放り投げる人、これをキャッチして上に放り投げる人*3、これをキャッチしてリベット打ちに渡す人、実際にリベットを孔に通す人、かしめる人。
現場監督はドイツ人。通訳する人。それをもとに声を上げる親方。
約120年前の鉄骨建造物ですが、そうやって「最新の技術」でこの橋はできたのでしょう。
なんとなく建造の様子を想像して、いつも眺めています。


精錬所はもう止めて10年ちょっと経ち、窓は破れ放題のお化け屋敷でした。
間藤−精錬所間のレールもとうの昔に外してしまいましたし。


本山坑周りの施設も現在撤去工事中。


古河のドル箱だった足尾銅山も、日立の日立鉱山も住友の別子銅山もみんな閉山になり、日本の重工業を支えていた金属鉱業は、過去の話になってしまいました。


私が小学校のころから何度も何度も通っている足尾。
あまり大きな声ではいえませんが、実は大好きな鉱山街です。

*1:アーク溶接の特許が 1889年、国内のロウヅケの特許が 1892年。アセチレンバーナーが1900年代初頭の発明です。テルミットは 1897年。

*2:ウィットウォースねじの規格化が 1885年。ヨーロッパ規格の SI ねじが 1898年にできます。

*3:鉄塔なんかですと、いかに高く垂直にすばやく赤熱したリベットを放り上げられるかで投げ手の腕が問われ、この技術の良否によって彼らの給料が決まったそうです。