水溶性ケイ素?

はてブからこのような記事に飛びました。
http://bluelynx.jp/umoplus/umo/post_28.html


ここで言う「珪素」が、ケイ素単体なのかケイ酸塩のような化合物なのかさっぱりワカラんです。
普通はそこで話が止まりますが、二酸化ケイ素だという仮定を立てることとしましょう。

このケイ素が豊富に含まれているのが水晶で、そこからケイ素を抽出し、濃縮したものが「水溶性ケイ素」です。

といっても、技術的にはとても難しいことです。

なぜなら、鉱物である水晶は、いくら細かく砕いても、水に溶けることはないからです。水溶性ケイ素でないと、体の中に入れることは出来ません。

この問題を解決したのが、韓国の物理学者、申勇博士です。

水晶石を溶解釜に入れ、1650℃の高温で8時間以上焼き続けます。

するとケイ素の成分がガス化します。それを特殊な方法で回収し、不要物を燃焼させて作られたのが水溶性ケイ素なのです。申博士のこの製法は、特許を取得しています。

水晶は二酸化ケイ素からなる鉱物ですから、ケイ素が豊富に含まれているのは確かです。
細かく砕いて熱水で煮ると、きわめてわずかに溶け出しますが、微々たる量です。
溶解釜(融解?)に入れ、1650℃の温度で加熱しますと、ちょうどその温度は融点ですから融解してドロッとした融解二酸化ケイ素ができます。
シリカのネットワークがバラバラになった状態ですね。融液内でつながったりきれたり。
融点でもわずかな蒸気圧はあるんですが、これもやはりきわめてわずかで、ガス化は困難です。
何らかの手法でサブナノサイズのヒュームにしたということでしょうか。
このあたり、半導体屋が血眼になって検討しているところです。
というのは、半導体を包む黒っぽいプラスチック、あの封止剤は非常に細かいヒュームドシリカを高分子と表面改質剤(カップリング剤というんですが)で作ったもので、ヒュームが細かいほどシランカップリング剤がよくなじみ、固化前の流動性も増し、カップリング剤の量も少なくてすむからです。
融点で焼くだけでヒュームができれば苦労しません。
関西の某社がずいぶん作ってますが、現行の方法は四塩化ケイ素を水と一緒に高温の火炎ノズルから吹き出して作ってます。


水溶性ケイ素の組成もよくわかりませんが、化学反応は伴ってませんので二酸化ケイ素(シリカ)ですよね。
これは電荷を持っていない限り常温の水にはほとんど溶けません。どれほど細かくなっても。
表面にもし水酸基を持っていればコロイドにはなるでしょうが、脱水して凝集するでしょう。
製法上の手法から表面水酸基(シラノール)を持っているとは考えられません。
下文に「水溶性シリカは 0.4nm」とあります。4Åですね。
Si-O-Si-O-Siの連鎖でちょうどそのぐらいです。Q8 *1ぐらい?
こんな細かい中性無機シリカができるといいな。オレが聞きたいです。パテント番号出してください。
そのあたりのサイズの負電荷を持ったシリカは、いわゆる水ガラスとしてよく知られ、アルカリで二酸化ケイ素を煮て、pH 調整するとポリアニオンとしてできるのですが、分子間で勝手にくっついてシリカゲルになり、中性ではほとんど取り出すことができません。
ホントです。そうやってシリカゲルは作られているんですね。
水ガラス溶液は強いアルカリですから殺菌作用はあるでしょうが、製法的には違いますしね。


さて、日本の石英ガラスの歴史について。
昭和7年に、鉄興社山形工場で、フェロシリコン(製鉄、冶金用の鉄−ケイ素間化合物)を作った際に、電極にくっついていた珪石(二酸化ケイ素)が融けて、石英のガラスができたのがはじめてだと言われています。
これをなんとか製品化できないかと東北帝国大学に持ち込みました。
石英の融点は1650℃、この温度の大型炉を連続運転するのは当時ではものすごく難しい技術です。
東北大ではこの高温を得るために、酸水素炎を使い、あんまり危ないので近所の家までどかして工場をつくったのです。
ここでやっと到達した石英ガラス製造技術を再度鉄興社に戻し、その後の日本石英硝子(今の東ソークオーツ)になっています。


日本硝子細工夜話から引用

山新一教授の低温化学実験室は近隣をおびやかした。250馬力のモーターから発する轟音が地響きとなり、そのうえいつ爆発するかも知れぬというので、清野の顔も恐怖にゆがんだ。
住民の強硬な態度も、本田(光太郎)博士の陳謝と懇請にくずれ、家を大学に売って移転してくれた。
清野(寶)は、住民の立退いた家を工場にした。人は命知らずというが、酸水素炎はここにしかないのだ。しかもこんなに豊富に。命のことなど考えるひまはないではないか。ただ少々こわくないこともない。
石英の微粒子を集め、酸水素炎の中で透明な炎に孵化させようとする。その明け暮れ、黒眼鏡の、白色の炎を凝視する清野の眼が、カッと開いた。
「できたっ」まさにできたのである。たった一人の、粗末な小舎の片隅で、日本の、最初の、透明石英の誕生であった。


それは静かに光っていた。透明だった。小さな、1本の棒だった。

↑今読むと、すごくプロジェクトX風味な文章ですね。


最初の管石英ガラスロットの立ち上げ部は、これですね。まだ現物が現存するのよ。



私は日本人ですから、日本の技術の黎明期を評価したいと思いますね。志が違うよ。


*1:8単位の二酸化ケイ素からなる分子。理論計算例はあるけど合成した人はいません。