金!

これもけっこうびっくりした標本。鹿折の山金。
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自然金(native gold), Au, cub., Fm3m
宮城県気仙沼市上鹿折 鹿折鉱山
東京大学総合研究博物館蔵(登録番号 01955)
標本幅 : 3.0 cm
Nikon Micro Nikkor 60mm F2.8G ED/Nikon D3


あまりピンとこないかもしれないけれど、日本はかつてエルドラド(黄金郷)だった。
玉山、佐渡をはじめとした高品位の金山、砂金産地が多くあり、この産金は江戸幕府を支えた。
銀に比べ金を多く産し、金/銀の価格比がそれほど大きくなかったため、かなりの部分は外国の銀と交換され、国外に流出してしまったと言われる。
日本最大の自然金塊は、ウソタンナイ(北海道)の砂金塊だそうだ。770gという。
usotan


鵡川の砂金(北海道)は、だいぶ山金っぽい。

右が105匁。左は55.5匁。gに換算してそれぞれ394,208gくらい。


鉱山から掘り出したいわゆる山金の最大のものは、ここ、鹿折鉱山から産出した。
鹿折鉱山は、気仙沼市陸前高田市の境にかつてあった、伝説的金山。藤原氏の時代にはすでに産金の記録がある。
宮城は鹿折鉱山、女川金山 *1といい、大きな金を産した老脈タイプの鉱山に恵まれていた。
鹿折は、かつて金のプロフェッショナル岩崎先生をもってして、「怪物(モンスター)」と呼ばせた大金塊を産した。
記録では、その標本は910gあり、長さ10cm、そのうち711gが金であったという。残念ながらこれは現存していない。
明治末期(32−37年)に脈の高品位部に当たり、多くの金を産したという。
そのときの超高品位鉱は、十貫目中二貫目金を含んだというから、20%!ある。
あの中瀬でも、菱刈でもこれにはかなわない。
おそらくこの標本も明治末期に産した鉱石の片割れだろう。鉱脈から捻じ切ったようだ。
石英を食み、鮮やかな山吹色が目に鋭い。


鹿折鉱山は、たった2脈の石英脈だけだったため、明治末期に脈の大部分を掘り尽くしてしまい、戦前戦後と再開発したものの、鉱量を稼ぐことはできなかった。
今は、鬱蒼とした森に戻っている。


橋立の金。
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自然金(native gold), Au, cub., Fm3m
新潟県西頚城郡青海町橋立 橋立鉱山
東京大学総合研究博物館蔵(登録番号 01937)
写真幅 : 5.0 cm
Nikon Micro Nikkor 60mm F2.8G ED/Nikon D3


橋立は典型的な上杉謙信の隠し金山で、探鉱は昔からやっているのだが、金を多く産したのは明治中−末期。
ヒスイを産する青海の上の、とんでもない地形のところ。
片岩を切る石英脈に含まれる金で、産状としては珍しい。
今でも砂金は採れるようだが、山金はちょっと望み薄だろう。


風倉山(岩手)の高品位鉱がチョーしょぼく見えるぜ。
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普通はこんな鉱石でも、金が目で見えたら鉱山はウハウハなのよ。


こっちは人工的に気相成長させた金。立方晶がよくわかる。
gold crystals

*1:直径 6 cm、重量 265 g の金塊の産出報告がある。