似非科学からの伝言

とあるところで、江本勝水からの伝言」の内容を否定するのなら、「実験によってそれを証明すべきではないか」という意見を読みました。
実験科学の手法の一つである「再現可能性」から、その考えは健康的なものです*1
しかし、「水からの伝言」が科学者によって追試されないのは、細かく語られない理由がいくつかあります。

  1. きちんとした統計的な手法を取れば有為の差が出るとは到底考えられず、そんなことしても自分の研究には何の関係もないという科学者側の都合*2
  2. 「きれいな」結晶という基準があいまいで判定が困難という実験上の問題


後者がやっかいなのです。
ある程度の水蒸気圧を持つ大気を零度以下に冷却した基板上に送り、結晶成長させます。
大部分の実験では、複数個の氷の結晶成長が起こるでしょう*3
これらの結晶を中谷流に結晶形態分類することは可能です。
ただし、どれが「きれい」でどれがそうではないのかを定量することが容易ではないのです。
「きれい」さを何で見積もったらよいのでしょう?
転位や格子欠陥の濃度なのか、六回対称の対称性のよさなのか、結晶面の平坦度なのか、あるいは結晶中の流体包有物の大きさや出現頻度なのか。
これらを全部含めて、人間の目はきれいだと考えるわけです。


私は結晶学の畑で仕事してますが、私の考える「きれいな」結晶は

  • 単結晶であること
  • 結晶面が平坦で、くぼみがないこと(骸晶はダメ)
  • 結晶の軸方向すべてが均等に成長していること
  • インクルージョンが少なく、透明で均質であること


ですからね。私の好みは職業柄ですから、他の人は違うと思いますよ。
そんな感じできれいさの主観は個人によっててんでバラバラです。
樹枝状の結晶をきれいだと思う人も多いでしょう。
例えば、彼のブログの「今月の結晶写真」には、以下の写真があります。
http://www.masaru-emoto.net/newemoto/image/crystal/amazing700.jpg

【「アメイジング グレイス」を聴かせた水の結晶写真】
天と地に対しての祈りを象徴するような形が表現されました。

Amazing Grace は私ももちろん大好きです。それはまあおいといて。
この宗教じみた結晶の評価を、どうやって定量せよというのでしょう。
信仰ならこれは許されます。ホットチョコレートカップキリスト像が出てきたようなものです。
でも、これは科学ではありません。信仰を科学で論破できるはずがありません。
科学者が適当な実験をもとに反論したとしても、話が噛みあわないので水掛け論にもなりません。


物理学会*4には出てきているようですので、発表場所に居合わせた方は、質疑応答の際に質問してください。


追試や反証の実験をしないのを「科学者の手抜き」だなんて言わないでください。
スタッフにはそんな実験をする暇はありません。学生にやらせるのはかわいそうです。
通常の結晶成長を調べる研究のほうがはるかに学術的な意味があるはずです。
国費でする価値があるような作業仮説はあの本には一つもないのです。
悪魔の証明」を、トンデモ科学が出てくるたびに科学者がしなければならないとしたら、それは滑稽以外の何ものでもありません。*5


一番気になるのは、正当な科学的手法、論理的な作業仮説の立て方、統計的な実験計画とその結果を基にした考察なんて、一般の人にとってはどうでもいいことなんです。
科学の畑の人は「統計的に無意味なデータだから、議論するには至らない」と一刀両断します。
それは科学の人にとっては重要なことです。
でも、だまされる人はそんなこと知りませんよ。
コンビニに売っているのは、「化学と工業*6」ではなく、「水からの伝言」ですから。
一歩譲って、学会や論文誌から抜け出て、国費を使って波動ビジネスを叩き潰してもいいんじゃないでしょうかね。
科学者がツンツンするのは簡単ですが、それが似非科学をはびこらせた原因の一つなんじゃありませんか。


(追記)この本について考えるたびに、日本の科学教育の水準が(研究者が考えるほど)高くないという事実に愕然とさせられます。この本を道徳の教材に使おうとしている教諭は、一度大学まで来て一日体験入学をお受けください。運良く私が担当になったら、「結晶化ってなんなのか」を、実験しながら一緒に考えてみてください。子供を諭すのに都合がいいからといって、何の教材を用いてもいいということにはなりません。しつけ絵本じゃないんですよ。

*1:ホントは違います。新しい仮説を立てる側がするべき実験です。

*2:おおよその職業科学者は、そんなテーマ外の実験をする時間はないはず。言葉が水の結晶化に与える影響を調べている科学者はまず皆無でしょうけど。

*3:条件が揃えば、たった一つだけの結晶が育つかも。

*4:http://d.hatena.ne.jp/doublet/20060801#p1

*5:ただし、音が結晶の核形成に影響を与える可能性はあります。音はエネルギーですし、結晶の核形成は本当にある種のきっかけで起こります。フラスコに入っている溶液をひょいとテーブルに置いたり、ガラス棒で内壁を引っかいたりすると、結晶化が始まるのは合成化学者なら何度も体験しているでしょう。音波で結晶核が割れたり、フラスコ内での位置がずれて多くの結晶核をばら撒いたり、欠陥のきっかけになる可能性はあります。ただし、「ありがとう」と「ばかやろう」の言葉の周波数の差が有為の差として出るとは思えません。ましてや、「ありがとう」という言葉を見せれば「きれいな」結晶になるなんて。

*6:http://www.chemistry.or.jp/kaimu/ronsetsu/ronsetsu0609.pdf