ゴム状硫黄

http://www.asahi.com/science/update/0105/TKY200901050126.html


の件です。
科学者が云々という話がありましたので、一般的な科学の手法でこの問題を考えます。
命題は「ゴム状硫黄は何色か」ということです。普通はまず調べものからするんですが、それはさておき。
このテーマに対し、科学的素養のある人は例外なくこう考えるでしょう。

  • 「ゴム状硫黄」という硫黄同素体を再定義する(実は混ざりでえらくややこしい)
  • 観測データ(この場合、色)に影響を与えない程度に、標的物質(ゴム状硫黄)の純粋な状態を作り出す
  • これを評価する。色は主観が入って曖昧だから吸収スペクトルで評価しよう


きっちりと説得力のある結論を導くためには、以下のような実験計画を立てます。

  1. 実験で用いる硫黄の純化法確立*1と不純物の定性定量
  2. ゴム状硫黄合成における実験条件の最適化と、そのときに生じるゴム状硫黄の分子量分布の測定、結晶化度の測定
  3. 得られたゴム状硫黄の吸収スペクトル測定
  4. 不純物の濃度変化による吸収スペクトルの変化の測定(ダメ押し)


硫黄を加熱すると融解し、液状の S8 になります*2。これはオレンジ色です。
これが長時間の加熱により環が開いてゆっくり重合し、オリゴマーを経由した後に、重合体になります。
これを水中に放り込んで急冷すると、重合体がそのまま固化します。実は重合体以外にも多くの環状成分を含んでいるんですが。
これが「ゴム状硫黄」と呼ばれるものです。少なくともここではそう定義します*3
これはアモルファスですから粒界による光散乱がありません。複屈折はありますが色はついても透明です。
光を散乱する場合、何らかの結晶性成分を含んでいます。
こうなるとやはり黄色半透明です。
水が無色でも、雪が真っ白いように。


さて、くだんの黄色いゴム状硫黄にどのくらいの結晶性硫黄成分が含まれているかは、私はこの写真からではわかりません
このような曖昧さを回避するために、実験2が必要となるのです。
これが提示できないと、そう言われたときに返答できないですよね。
このデータが提示できると、そのような疑問は出てきません。
だから、申し訳ないんですけど、私はこの記事から「ゴム状硫黄が黄色」って判断付けかねるんです。
粉末X線で「シャープなピークなし」というのを示してもらえるとありがたいんですが、それはニュース記者は理解不能でしょうし。


科学って、そうやって曖昧さをひとつひとつそぎ落としていくものです。


写真を見る限り、不純物を含むゴム状硫黄って、褐色って言いますけど、不純物はおそらく黒色でしょう。
可視領域全域に吸収のある不純物を含んだ色に見えます。
ホントはゴム状硫黄は黄色なんですが、アモルファスマトリックスに少量の黒色の微細な不純物(おそらく金属硫化物)を含むために褐色っぽく見えているのかな、と推測しています。


ニュースの記述の

09年度教科書から「ゴム状硫黄は硫黄の純度が高いと黄色になる」と注を追加することになった。

は物質の本質という点からはおかしくて、本文を「黄色」に、注釈を「ゴム状硫黄は硫黄の純度が低いと褐色になる」のほうが正確でしょう。


色って、難しいんですよ。検出器が人間だから。
物質本来の色なのか、不純物の色なのか、これをよくごっちゃにします。
無色の化合物に、0.1% でも着色成分が入ると、色がついちゃいます。
しかし、分析するとそのほとんどは主成分 99.9% の性質しか出ないことが多くて。
しかも、人間の目って、かなり微妙な吸収スペクトルの差でも見分けるんですね。
モル吸光係数が 10 ぐらいしかなくても、簡単にわかりますから。
だから、合成屋さんって、あまり色を気にしません。どっちかというと結晶のサラサラ具合とかのほうが大事です。
論文にも、実験項のところにちょこっと書くぐらいです。吸収波長が大事なら吸収スペクトルを記述しますしね。
製品に近くなって、色がついちゃ困る用途だと、色を落とすべく努力するんですが、これがなかなか落ちなくて苦戦します。
ほんの少量の、性質のよく似た着色成分ってのは、言うほど楽には抜けません。


今は科学では「黄リン」という言葉はなくなりつつあります。
アレは、「白リン」P4 の表面に、着色した Pn がこびりついている状態で、純粋なものは白いからです。


そんなこんなで、元素化学は古いようですが、今でもちょこっとずつ中身がより正確に書き改められています。


教科書は、ツッコミどころ多いですよ。ニュース記事ほどではありませんけど。
正確に記述するのが難しかったり、長くなるとはしょっちゃうんですね、教科書は。
この記事もツッコませてもらうとキリないんですが、一つだけツッコめば、不純な硫黄だろうと純粋だろうと、粉末だろうと昇華物だろうと、売ってるものはすべて「結晶硫黄」なんですね。
およそのものは転移を起こして斜方晶の S8 です。


fumarolic sulfur


(注記)硫黄の同素体は 30種を超え、100年も前からものすごく多くの研究例があります。もちろん吸収スペクトルも。役に立ちそうな論文を少しだけ出しておきます。

  1. Plastic and allotropic forms of sulfur. Schaefer, Herbert F.; Palmer, George D. Journal of Chemical Education (1940), 17 473-5.
  2. Thermo-allotropic modifications of sulfur. Sheely, Clyde Q. Journal of Chemical Education (1941), 18 30.
  3. Solid allotropes of sulfur. Meyer, Beat. Univ. of California, Berkeley, Chem. Rev. (1964), 64(5), 429-51.
  4. Spectrum of sulfur and its allotropes. Meyer, B.; Gouterman, M.; Jensen, D.; Oommen, T. V.; Spitzer, K.; Stroyer-Hansen, T. Univ. Washington, Seattle, WA, USA. Advances in Chemistry Series (1972), 110(Sulfur Rec. Trends), 53-72.
  5. The structures of elemental sulfur. Meyer, Beat. Chem. Dep., Univ. Washington, Seattle, WA, USA. Advances in Inorganic Chemistry and Radiochemistry (1976), 18 287-317.
  6. Recent developments in the allotropy of sulfur. Laitinen, Risto. Kem. Osasto Tek. Korkeakoulu, Espoo, Finland. Kemia - Kemi (1984), 11(4), 306-11.
  7. The true allotropes of sulfur. Rayner-Canham, Geoff; Kettle, Jamie. Sir Wilfred Grenfell Coll., Corner Brook, NF, Can. Education in Chemistry (1991), 28(2), 49-51.
  8. Sulfur allotrope chemistry. Leste-Lasserre, Pierre. McGill Univ., Montreal, QC, Can. Avail. UMI, Order No. DANQ78714. (2002), 200 pp.

*1:高純度硫黄の自家精製って、けっこう難しいですからね。しかし、99.9999% ぐらいの硫黄は、g単位で試薬として売られていますから(高いけど)、これをスタートに精製して不純物金属を落とせば、標的金属不純物はかなり低いところまで落とせるでしょう。

*2:正確には S8 を多く含む硫黄の環状および鎖状の混合物です。

*3:製法を含めた定義だともっと話がややこしくなります。