欠陥と結晶

左水晶の柱面に出現した蝕像
etching figure of left-handed quartz
x2, Nikon Macro Nikkor 65mm F4.5/Multiphot/D3


一見、完璧に見える水晶においても、しばしば結晶面にこのような模様が見られることがあります。
これは蝕像といい、結晶成長後に熱水によって水晶がわずかに溶かされた模様。
よく見ると、大小のくぼみがあり、大きなものは丸い穴ではなく、シッポを引いた人魂のよう。
すごい細かいポツポツとしたエクボが表面にあるのがわかりますか?
これ、すべて結晶中の欠陥の場所です。
結晶とは、原子もしくは分子が三次元方向に規則並んだ状態を指します。完璧に並んでいるのは理想結晶。
しかし、実在の結晶はちっともそんなことはなく、多かれ少なかれ欠陥を含みます。
そこにあるべきものがなかったり、いちゃダメなところにいたり、違うのが平気な顔してもぐりこんでたり、ボタンの掛け違いで、ある点からみんな並びそこねているとか、ですね。
そういう欠陥は結晶には必ずあるものであり、無欠陥はあまり現実的ではないのです。
成長時は、欠陥の周りから結晶は育つ癖があります。不思議なことに。
欠陥があるからこそ結晶はすくすくと大きく育ち、大きな結晶(巨晶)に育つのです。
完全結晶を苦労して作ることもできるんですが、ものすごく結晶成長が遅く、欠陥のあるものの成長速度には太刀打ち不可能。
机上の空論みたいなものです。
逆に、溶解時は、欠陥から溶け去っていきます。
この水晶は、結晶の中に埋もれている欠陥が溶解によって可視化されたものなのです。
このように、結晶にとって欠陥とはなくてはならないものであり、この欠陥が材料の物性に大きな影響を与えることも少なくありません。
このような部分的な乱れや揺らぎは、エントロピー的に結晶をわずかに安定化させます。
欠陥のない、完璧な状態は、エンタルピー的には有利なんですが、エントロピー的には若干不利で、差し引きするとおよその場合は乱れを含んだ方がエネルギー的に低くて、実は乱れを含ませてあげたほうが自然なんですね。


人もそう。
欠陥や欠点と思われるものでも、実はすごく大事な要素であって、むげに否定したり無くそうと考えるものではないはず。
欠陥があるからこそ周りに人が集まり、成長できるのかもしれませんよ。
まったく欠点や欠陥の無い人がいたら、人間味が無さ過ぎて一緒にいて疲れちゃうかも。


宮本武蔵五輪の書」には

兵法の道において、心の持ちやうは常の心に替る事なかれ。常にも兵法の時にも少しもかはらずして、心を広く直にしてきつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらせぬように、心をまん中におきて、心を静かにゆるがせて、そのゆるぎのせつなもゆるぎやまぬやうに、よくよく吟味すべし。

とあります。
「常の心」(定常状態)でありながら揺るぎを持たせる。
まさにこれ。
結晶の心は、規則正しい中にも揺らぎを持たせたものなのでしょう。
これは、結晶育成のときに必要な心構えですね。
揺るぎがないと核形成も起こりませんし、わずかな乱れがなければ結晶育成がトコトン遅くなります。