あらいもの考

もう一度、私の考えを書かさせてもらいます。


しばしば、有機化学の実験室での実験指導で、こういう台詞を聞きます。

「ガラス器具は、水をはじかなくなるまでゴシゴシ洗えよ!」

有機物と一番混和性の低い汎用溶媒は水で、有機物による汚染が皆無のガラス器具は水を弾くことなく完全に水に濡れます。
しかし、有機化学の実験室で、手洗浄(クレンザー、洗剤)により、すべてのガラス器具をそこまで洗浄するのはほぼ不可能です。
原因はシリコーングリース、シリコーンオイルと、ガラスにこびりついた有機物のためです。
細かい部分は、ブラシが届きませんし。
また、ブラシが一回でも反応混合物など汚染したらアウトなんです。
完全無機の実験室ならそこまでできるでしょうが、有機物を扱ったらそういうわけにもいかないのです。
ホントですよ。
ウソだと思ったら、トリメチルクロロシランを蒸留したビグリューカラムを、水をはじかなくなるまで洗ってみてください。


たまに、今は実験をすることがほとんどなくなった教官がそのような指導をしている話を聞きますが、精神論のにおいがします。
そこまで洗ったら、一日の半分は洗い物になるでしょう。
人的資源の浪費です。実験精神論的教育法としてはいいのかもしれませんけど。
で、某大学の某研究室では、新しく入ってきた学部生に「水を弾かなくなるまで洗えよ」と数時間洗い物させて、「どうしても水を弾いてしまいます〜」と泣きの入ったところで、「じゃあ、アルカリバスに突っ込め」と、そこで初めてアルカリバスが出てくるんだそうです。
アルカリバスというのは、苛性アルカリの溶液です。企業さんでは水酸化ナトリウムメタノール溶液がしばしば用いられますが、私は水酸化カリウムイソプロピルアルコール (IPA) 溶液を使っています。
水酸化ナトリウムIPA には溶けづらくてね。
苛性アルカリはシリコーングリースやオイルを分解してくれるので、半日もガラス器具を漬けておけば見事に水をはじかなくなります。
ただし、濃アルカリはガラスをも溶かすので、長時間のディッピングはスリガラスになってしまいます。
以前、100 ml ナスフラスコに乾燥重量を彫り込んで、使用による重量変化をモニターしていたことがあります。
1年で 15 mg 減少しました。アルカリバスに漬けておいたのは一晩x50回ぐらいかなあ。
このぐらい減ると、ガラスがくすみ始めます。
まあしかし、手洗いでそこまで厳密に洗うのは難しいので、消耗品とわりきってアルカリに漬けるわけです。
普通、ホウケイ酸ガラスの表面は、ダングリングの Si-O が Si-OH のような、水酸基の構造になっています。
アルカリに浸蝕されると、おそらくこれは Si-ONa か Si-OK になり、これは固体塩基として悪さするんじゃないかと考えましたが、これに困ったことは現在まで一度もありません。
アルカリプレーティングされて、このアルカリがゆっくりサンプルをコンタミするかと考えましたが、この効果もほとんどなし。
アルカリバスは、アルカリが実験者の粘膜をおかす危険があるのと、ガラス器具が早めに痛むのを除けば、ガラス表面の洗浄に関しては最良の方法です。


逆に、洗剤を使ったら界面活性剤汚染が気になりますし、シリコーングリースの汚染はかなり深刻です。
ガラス器具を修理に出すと、修理後のガラス肌がくすんでることがありませんか?
古い並ガラスでアルカリ分が抜けて失透ということも稀にはあるのですが、私の見た中ではほとんどがシリコーンの汚染です。
これは、細工前にアルカリかフッ酸で洗わないと落ちません。


いろいろやってみて、現在実践中の洗浄法。
これが通常の有機合成実験ではコンタミを出さず、時間を取られず、かなりのレベルまできれいになります。
ただし、小さい器具ですよ。10リッター以上の釜は別です。
いい方法があったらご教授ください。

  1. まず、ガラス器具使用終了後、シリコーングリースを落とす。ヘキサンで拭い落とすのが手軽。
  2. 汚れ成分を予測し、ただちに汚れ成分を一番良く落とす洗浄液でゆすぐ。
  3. 目視して、固体や粘稠物の有無を確認する。ある場合はこれを物理的もしくは化学的に取り除く。ポリマーなど苦戦するものは、DMF を入れて加熱するなど、汚れの性質が予想できないとダメ。
  4. この状態で、アルカリバスに数時間漬ける
  5. アルカリバスからガラスを引き上げ、超音波洗浄する。洗浄槽は水道水でよい
  6. 超音波洗浄後、流水ですすぎながら汚れをチェック。固体分や水をはじく部分があったら粉クレンザーでゴシゴシ擦り、水洗いした後にもう一度アルカリバスに投入。
  7. 完全に水に濡れればそれで洗浄終了。蒸留水でゆすぎ、電気乾燥機に放り込む。
  8. ジムロートや焼結ガラスフィルターなど、乾燥に時間のかかるものはアセトンをかけて乾燥機に放り込む。


たとえば、グリニャール試薬を調整し、オイルバスで加熱熟成した1リッター釜を洗うとします。
普通は、グリニャの釜は残り汁をアセトンで潰します。
この釜、スリはシリコーングリースで、外側はシリコーンオイルで、中は金属マグネシウムの滓、水酸化マグネシウム、グリニャーがプロトン化されたもの、グリニャーがアセトンを叩いたもの、アセトンおよびその縮合物で汚れています。

  • グリースとオイルはヘキサンで落とす
  • 釜の中はまずアセトンで流し、水で流す。
  • マグネシウムおよびその滓は塩酸洗浄
  • 目視確認して、頑固な汚れがいないのを確認
  • アルカリバス投入3時間
  • 水洗+超音波洗浄
  • ゆすぎ(水道水→蒸留水)
  • 熱乾燥


めんどくさい様に見えますが、量が多ければまとめてできるので、ブラシで洗うより実労働時間ははるかに短く、よりきれいになります。


GCMS のジェットセパレータとか一体型コールドトラップとか、頑固な汚れでしかもこすれないものはフッ酸ですね。